つつがなくそつがなく

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母の日のプレゼント2022

母の日のイラスト「お母さんにプレゼント」 | かわいいフリー素材集 いらすとや

 

そろそろ母の日のプレゼントを決めなくてはと思い始めて一週間経ってしまった。

今年は5月8日がその日らしい。

 

どういうルールで決まっているのか知らないが検索するとグーグルさんが教えてくれる。

ちなみに今日は「アースデイEarth Day)」らしい。

地球を大切にしよう。

 

花より団子

 

筆者は毎年実母と妻に花を送っている。

我が家は「自分の親へは自分で贈る」の原則が有るので妻も何かしら自分の母に送っているようだ。

 

今年は希望を聞いてみようと思い確認したところ、食べ物が良いと妻に言われた。

それなら実母にも食べ物を思いネットをうろうろしている。

 


<筆者の家族>
筆者・・・40歳。江戸川区在住。両親は渋谷区。ダイエットしようと運動する度に風邪を引く。

妻 ・・・40歳。千葉に母が住んでいる。GWの予定を立てるも雨が多そうで不安。

長男・・・4歳。オセロにドハマりし、親や保育園の先生より強くなる。オンライン対戦でそこそこ勝っている。

次男・・・2歳。イヤイヤ期真っ盛り。今日初めて靴下が1人で履けた。

 

 

紀州真鯛

紀州梅真鯛梅 十個入の通販なら紀州 梅真鯛梅 岩谷

 

結局実母へは岩谷の紀州真鯛梅にした。

元々テレビのニュースか何かで知り、人気ランキング1位という情報に踊らされ去年友達にプレゼントした。

好評だったので母にもプレゼントする事にする。

喜んでくれるといいなぁ。

 

※下にリンクを貼っておきますが回し者ではないのでここで購入しても筆者には1円も入りません。どうぞご安心を。

www.iwatani-umemadaiume.jp

 

 

ピエール マルコリーニ

フラワーボックス&セレクション 8個入り

続いて妻。

チョコレートで有名なピエール・マルコリーニにした。

妻が好きなブランドでバレンタインのチョコもここのをよく選んでいる。

 

あげる事は多いが貰う事は少ないんじゃないかと今回は逆にここのをプレゼントしてみる事にした。

妻は妻であって母ではないので渡す役目は息子達2人だ。

妻は甘い物を子供にあげないので1個くださいと言っても却下されるだろうから箱の中身は食べ物ではないと言わないと。

 

※上と同じくリンクは貼りますが筆者には1円も(略)

pierremarcolini.jp

 

 

 

母の日に食べ物をプレゼントするのはよく考えたら初めてかもしれない。

喜んでくれるようなら来年からも食べ物にするけどそれはそれで選ぶのが大変ですなぁ。

 

 

おしまい。

子供に対して宗教の説明とか仏壇とか位牌とかお墓とかの話

 

お墓・墓石のイラスト(日本) | かわいいフリー素材集 いらすとや

 


昨日般若心経について1年間勉強して感じた事を書いた。
宗教に関してどう子供に伝えるのが良いかとか仏壇の事とかぽつぽつ書く。


<筆者の家族>
筆者・・・40歳。2児の父。平凡なサラリーマン。江戸川区に住む。姉が1人居る。

妻 ・・・40歳。たまに夫がブツブツお経を読んでるので訝しむ。姉が1人居る。

長男・・・4歳。絵本に書いてある「寿限無(じゅげむ)」を覚えたのと同じノリで般若心経をブツブツ読んでる筆者を真似してくる。

次男・・・2歳。イヤイヤ期真っ盛り。まだ字が読めないのに音だけで寿限無を覚えてしまった、子供の集中力というのは凄い。

 

子供に「死ぬってどういう事なの?」と聞かれた時、どう答えるのが良いんだろう。


筆者はそれほど信心深くない。
お盆や実家に行ったついでにお墓参りはするが極楽とか地獄とかの存在はぼんやり受け止めている程度だ。
おそらく多くの現代日本人はそうだと思う。

筆者に至ってはぼんやりしている為、実家が何の宗派かだったかすらちゃんと記憶してなかった。(浄土宗だった。)


よく外国人に宗教は何を信じてる?と聞かれ「特に無い」と答えるとドン引きされるという話を聞くが
実際外国人の友達(台湾人、インド人)にそんな事は聞かれた事も無いし聞いたこともない。人によるんだろう。


家でぶつぶつ般若心経を覚えているので子供が興味を持った。
比較的記憶力が良い長男は「これじーじのお寺でやったやつ?」と聞いてきた。
感心と驚きつつ「そうそう、よく覚えているなぁ」という会話をした。意味までは聞かれなかった。
般若心経というよりお経の冊子が渡されたので漢字がいっぱいだったのを思い出したんだろう。


今はまだ義父(子供からすればの祖父)の死という事もよく分かっていない。
自分自身がそれほど信じているわけではないが「天国に行ったんだよ」と伝えてそれで終わっていた。

天国ってなに?とは聞かれなかった。

 

子供に伝える宗教観


自分自身の子供の頃を思い浮かべると小学生2年か3年生の時、死というものが凄く怖かった記憶が有る。
何かよく分からない、暗い、音もしないイメージでただただ恐怖だった。

毎日ニュースで子供が死んだとかウクライナ侵攻で民間人が何人死んだとか流れてくる。
それを見ながら息子達は「早くお食べ」と言われモグモグしている。

宗教観もそうだが戦争についてもそうだ。
ロシアという悪い国がウクライナを攻めているという乱暴な説明ではロシア人みんなが悪党になってしまう。
説明は難しいから気を付けないと。

 


ところで宗教と死は凄く密接な関係にある。


みんな死が悲しすぎるから死後の世界という物を創造し、死者がそこで平穏に暮らしてると願う事で悲しみを乗り越えようとしたんだろう。

日本で言えばお墓に匹敵するものは縄文時代から有る。
有る程度仏教の勉強をしているが、それでも死後の世界や絶対的な力を持つ存在を信じろというのは筆者には難しい。
(仏教を含めあらゆる宗教を批判する意図は有りません。)


思うに、飛行機が無い時代はまだ雲の上がまだ未知だったので神様が居ると本気で信じられた。
だから超自然的な、オカルト的な逸話も割とすんなり受け入れられたんだろう。
神、仏の他に悪霊とかそういったものも信じられていた。夜も電灯がなく今より遥かに暗かった時代だ。
(なにせ病気を治す為にお百度参りする時代だ。)


布教する上でも、今より死がもっと身近だったので死後の世界や超強力な存在が救ってくれるという話が受けたんだと思う。
例えばお釈迦様はお母さんの脇の下から胎内に入ったとか、生まれてすぐに歩いて天上天下唯我独尊と言ったとか、
現代人の感覚からすると信じるのが難しい逸話が有る。

仏教以外でもモーゼさんが海を割ったとかイエスさんが水をワインに変えたなどがそうだ。
ケチを付けるつもりはない。馬鹿にしているわけでもない。

今の感覚で鵜呑みにするのは難しいという話だ。

後から信者が神格化する為にそういう伝説を付け加えたとシビアに見るのが現代人だろう。


へそ曲がりな筆者はこの神秘的な側面は今や布教の邪魔になってすらいると思う。
(敬虔な信者の方からすればこのブログはご不快だろうと思う、ごめんなさい。)

他の宗教は知らないが仏教はこの超自然的な側面を切り離しても尚充分素晴らしいからそっちをもっとアピール出来たら素敵だなと思う。

 

少なくとも子供に宗教の話をする時、やれ異教徒は地獄に落ちるだの神の名は1つだのという争いの種になる話はしない。

信じる物が違うという些細な理由で争う事を神様は望まないだろう。

 

最初の議題に戻るが子供に「死ぬってどういう事なの?」と聞かれた時、どう答えたら良いんだろう。

筆者の属する浄土宗の教えによれば他力本願だ。
南無阿弥陀仏と唱え阿弥陀如来という圧倒的な存在の力におすがりする事で死後救われると言う。
(お姿は鎌倉の大仏様だ。)


それを子供にそのまま伝えるのは確かに簡単だ。
浄土宗、浄土真宗が爆発的に広がったのも納得できるシンプルな教えだ。
だが自分でも眉唾な事を子供に伝えるのもどうなのかなと思う。


もちろん墓や仏像の前では手を合わせたり、葬式や法事ではお焼香をして故人の冥福を祈っている。
それでも「なんと伝えたものか…」とぼんやり考えてしまう。
正解は分からない。
ただ息子たちが他宗教へ改宗しても受け入れるだろう。(その宗教の教えによっては反対だが)

 

 


あと仏壇とお墓だ。

筆者に関係する仏壇は4つ有る。
実家、妻実家、祖父母家、妻の祖父母家。
それぞれに仏壇が有る。関係有るか分からないが宗派も違う。

 

これどうするんだ将来。
みんなどうしてるんだろう。

仏壇は1つだけ引き取って位牌は姉と半分こ?そんな事はしないだろう。

姉とどちらが管理するのか話し合わねば。
妻実家の分も妻が姉と話し合う必要が有る。

 

お墓もそうだ。


実父、実母が入るであろうお墓は東京の実家近くに有るから問題ない。
だが祖父母が入るであろうお墓は遠距離に有る。
妻実家もそうだ、義母は義母の母と同じ墓に入りたがってるし義父は義父で先祖代々の墓に入った。

いっその事みんな同じお墓に入ってくれと思わないでもないが遺骨は祖父母だけでなく先祖代々有る。
調べたら合祀(ごうし)と言ってご先祖の遺骨を1つの骨壺にまとめる事が出来るらしいが
家系の違う全くの他人の遺骨をまとめるのは何となく気か引ける。

こんな事を考える年になったんだなぁ。
みんなどうしてるんだろう。

 

おしまい。

 

 

 

 

余談

宗派は違えど仏教の定義は仏様(お釈迦様)の教えを信じ、教えに委ねる事を指す。
その教え、文言は不変だが解釈が時代によって変わる。


原子的な仏教では仏陀ブッダ、悟りを開いた人、真実に目覚めた人)は稀にしか誕生しない。
どれくらい稀かというとお釈迦様が亡くなった56億7千万年後だ。(稀という感覚では追いつかない。)
その方は弥勒菩薩(みろくぼさつ)という称号なのか屋号なのか分からないがそういった名で予約されている。

 

仏教では諸行無常(どんなものもいつか滅びる)という絶対的な真理が有るのでお釈迦様(釈尊、シッダールタさん)の教えすらいつか滅びるとされる。(書いてて思うがやっぱり凄いなお釈迦様。)


お釈迦様が亡くなっている今は無仏時代だ。この間は地蔵菩薩がお救いくださると言う。(だからみんなお地蔵さんを大切にしよう。)
そんな後まで地球は持つのかという疑問も浮かぶが何も地球に限っての話ではないので他の惑星、他の銀河の話かもしれない。

 

だがそれだとちょっとな・・・と考える人が居て、解釈を変えて(お釈迦様はああ言ってなさるけど実はこう言いたかったんじゃないかという事で)仏陀はたくさん居る、薬師如来阿弥陀如来とか、最終的にあんたも仏陀に成れるチャンスは有るとしているのが今の大乗仏教だった。


仏様の教えすら時代によって解釈が変わる、仏陀の数も変わるのだから不変な物など何1つない。

まさにこの世は諸行無常だ。

何も分からない素人が般若心経を勉強し始めた話

 


※宗教関係のブログでは有りません。また解説では有りません。薄く勉強した結果の薄い感想日記です。
※これを書く過程で「そもそも仏教とは」的な知識が必要だったので学びましたがめちゃくちゃ長くなりそうなのでそこには触れません。
※薄い勉強なので間違っている箇所が有るかもしれません、信じないでください。
※解説はネットでも本でも世に溢れていますので私以外のところを参考にしてください。

 


あくまで雑談のネタとか、誰かの法事やお葬式に行った時に「そう言えば般若心経ってこうらしいな」と思い返すきっかけになれれば嬉しいです。
また、般若心経はビートルズジョン・レノンapple創業者のスティーブ・ジョブズなど著名な人にも哲学・考え方として多く取り入れられているので面白かったです。

 

本題


縁起でもない話だが最近葬式や法事に参加する機会が増えた。
40にもなるとそういうもんかという認識で特に驚く事はない(悲しいけど)。


お坊さんが来てお経や念仏を読むのだが何を言っているのか分からない。
正直この時間は悲しみに暮れているとは言えニュアンス的には「我慢」とか「耐え忍ぶ」に近かった。


なんせ意味を知らないからだ。興味を持った事もない。
念仏とお経の違いも分からないし、
とにかく死んだら善人は極楽で悪人は地獄、

みんな墓に入るという事くらいしか認識していない。
墓参りはしているが、何かありがたい事とか死者を弔う事を言ってるんだろうくらいの感覚だ。

 

意味を知っていればあの時間を苦とも感じ無さそうだし、本来の主旨である故人への想いも強くなりそうだと思った。


今は便利なものでどんなものか聴きたければYoutubeにたくさんアップされている。
本物のお坊さんが録音しているし、DJと組んでポップに聴ける物まである。
(色んな意見が有るだろうがお坊さんが色んな取り組みする事は良い事だと思う。ネットを使って悪い事など何も無いし坊さんがバンドを組んだって別に良い。)


ただやはり好みは有る。
それぞれ息継ぎする所やリズム、声色、音色が違う。
筆者が1番好きなのはこちらだ。

 

youtu.be

 

 


話は変わって昨年の葬式でのお話


筆者の義父が眠るお寺(曹洞宗)ではミニ経本を手渡してくれるので少なくとも、
「今何と言うタイトルのお経だか念仏を唱えているか」くらいは分かった。
ただ見た事ない漢字も多いので意味は分からなった…。

(ちなみウチの実家は浄土宗だった。そんな事も知らなかった。)

 


その中に般若心経が有った。
とりあえず全文を記載してみる。

 

【仏説魔訶波羅密多般若心経】
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一切苦厄舎利子色不異空空不異色色即是空空即是色受想行識亦復如是舎利子是諸法空相不生不滅不垢不浄不増不減是故空中無色無受想行識無限耳鼻舌身意無色声香味触法無眼界乃至無意識界無無明亦無無明尽乃至無老死亦無老死尽無苦集滅道無智亦無得以無所得故菩提薩埵依般若波羅蜜多故心無罣礙無罣礙故無有恐怖遠離一切顛倒夢想究竟涅槃三世諸仏依般若波羅蜜多故得阿耨多羅三藐三菩提故知般若波羅蜜多是大神呪是大明呪是無上呪是無等等呪能除一切苦真実不虚故説般若波羅蜜多呪即説呪日羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶般若心経

 

カウントしてみると262文字。
お経の平均を知らないが短そうだ。
よし、とりあえずこれの意味を調べてみよう。

 


暗唱出来たらそれはそれで格好良さそうだ。
(勉強前の当時の感想です。お経は暗唱する必要無く一言一句丁寧に本を読む形が正しい。なのでお坊さんも本を使っています。生前義父はあの坊さん暗記もしてないのかと陰口言ってたけど…。)


昔、孔雀王という漫画が有って主人公がお経だか念仏だかを唱えて悪霊退散するのに憧れが有った。
陰陽師という漫画でも安倍晴明真言を唱えて悪霊退散していて格好良かった。
40歳になっても呪文というものは何か格好良さを感じさせる。

 

お勉強の開始

 

義父が亡くなって興味を持ちだしたのが去年の4月なので1年前になる。

勉強熱が冷めては再燃してを繰り返し今に至る。(まさか1年もかかるとは…)

 

元々はお釈迦様がお弟子さん(文中に出てくる舎利子さん等)に向かって話していた教えを書物にまとめたのがお経らしい。
だから元々は梵語だ。
梵語は古代インドで使われていたサンスクリット語サンスクリット語は字を横書きで書く。むしろ縦書きの方が世界的には珍しい。

それを西遊記三蔵法師のモデルになった玄奘さんが7世紀くらいに中国へ持ってきた。
発音のまま伝えたいものは当て字(音写)にし、翻訳した方が良い物は翻訳した。
(因みに日本へは小野妹子が持って帰ってきたと言う説が有るが今なおハッキリ分かっていないらしい。)

 

そういう過程で縦書きになってるが元々は横書きな物だしPCで縦書きにするのは面倒なので横書きにする。

 

ちなみに中国語版をYoutubeに上げているお坊さんが居たので聴いたみたところ、

やはり日本の発音と全然違う。

サンスクリット語から中国後へ記す際に漢字にし、それをそのまま読むと音が変わったのだろう。

当時Youtubeはおろかレコードすらないのでその漢字を見た日本人が日本の漢字読みした事でまた変わったのだと思われる。

(終盤に有る羯諦羯諦波羅羯諦は日本語だとぎゃーてーぎゃーてーはーらーぎゃーてーだが中国語だとじぇでぃじぇでぃぶーるぉじぇでぃと聞こえる。昔のテクノロジーだと音写で伝えるのは限界が有るように思う。)

 

youtu.be

 

 

これを読みやすくスペースを開ける。

【仏説魔訶波羅密多般若心経】
観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄 舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識亦復如是 舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減 是故空中 無色無受想行識 無限耳鼻舌身意 無色声香味触法 無眼界乃至 無意識界 無無明亦 無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽 無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故 菩提薩埵依 般若波羅蜜多故 心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃 三世諸仏依 般若波羅蜜多故 得阿耨多羅 三藐三菩提 故知般若波羅蜜多 是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪 能除一切苦 真実不虚 故説般若波羅蜜多呪 即説呪日 羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯 諦菩提薩婆訶 般若心経

 

 


とにかくという文字がたくさん出てくる。

ほかに色即是空とか一切苦厄とかは聞いた事が有る。


だが結果から言うと非常に難解で難しい。
何せ上で書いたように音写(翻訳せず音を漢字にしたもの)と翻訳が混じってるからだ。

 

 

 

楽天市場】【民芸品お面】般若(参/極)お面 はんにゃお面 ※個包装なし : おめんのダイシン 楽天市場店


タイトルにも有る、般若という文字を見るとあの怖いお面を思い浮かべる。

が、ここでの般若はパンニャーという発音を音写した物なのであの怖いお面は関係ない。(たぶん)
詳しくは端折るがとにかく般若波羅蜜多(ハンニャハラミッタ)という特別な智慧を授けるという事について書かれている。


冒頭にも書いた通り解説はしない(というか出来ない)ので逐次これはこういう意味だという事は書かないが、
とにかくざっと薄い知識で語らせてもらえば

「目に見えている物、触れられる物、その他も含めて有ると思っている物は全て実は実体が無い。とにかく無いんだ。だからそういう実体の無い物に縛られるな。そういった物から離れれば迷いは生じなくなり真実の智慧に目覚める。」
という事だった。

無という漢字を連発するところは「あれも無い、これも無い」と言っている。

 


そんな「目の前に有るし触れるし匂うし味もするもの」を無いって言われても・・・と思ったが、
目に見えてるものでさえ人によって見方が違う、考え方も違う、

目の前にリンゴが有ったとしてリンゴと呼ぶ人も居るしappleと呼ぶ人も居る、リンゴを知らない人には何か分からないし、リンゴは赤いけど人によっては違う色だというし、食べた事がある人にとっては食べ物だけど国や宗教によっては食べ物と思っていないかもしれないし…

つまりリンゴは赤い、甘い、酸っぱい、食べ物であると思う人も居ればそうでない人も居る、結局リンゴを定義しろと言われてする内容は個人の想い、感覚、が入っている。これすなわち人によるので実体が無い。
リンゴ以外にも手で触れられない空気、人の心、五感やそれ以外で有ると思っている物も実体としては無いんだ。
あれというのはこうでなくてはいけないというのは思い込みだ、というような事がつらつらと書いてある。

 

また、存在が無いのではなく実体が無いとしていて、それは目に見える物も見えない物も本質的には同じだと言っている。

 

 

だからどうしたと言われればそれまでだが、ここからの解釈は人それぞれになる。
刺さらない人には全く刺さらないだろう。

 

そもそもお経とは「さぁ俺様を納得させてみろ」とか「知って何か得する事あんのか」と言う心境で読むものではなく、苦しみからの救済を目的にしている。

この世に悩み苦しんで無いなら別に一生読まなくても良いかもしれない。

 

解釈

多くの解説には「実体の無い物にしがみつき、執着し、奪い合いする意味ある?だから苦しいんだよこの世は。悟り開こうぜ。目覚めようぜ。」みたいな形で締めくくられている事が多い。

個人的には「言わんとする事は分かるけど難しいよお釈迦様…」と感じた。
無理だと決めつける必要はないがおそらく筆者がこの境地に達せられるとしたら死ぬ直前の1分くらいだろう。

 

聞いた事が有った色即是空も「目に見えている物(色)はすべては是れ即ち目に見えない物(空)と同じだ。」という意味であり、
一切皆苦は「この世は全て自分の思い通りには一切ならないから苦しい」という意味だった。
(補足すると「思い通りになるという希望を捨てなさい、それが苦しみの根源である」という意味が込められている。)

 

参考


勉強するにあたりNHK100分で名著の解説員だった佐々木閑教授がYoutubeチャンネルを開設していたので20話ほど見てみた。
まだまだ不勉強だが、どうやら仏教の本質は超自然的な(いわゆる神とか霊とかそういった存在)ものを盲目的に信じる事ではなく、
目標を設定し、ロジカルに手段を考え、頑張れば夢は叶うというポジティブシンキングを徹底的に否定する事によって
この世に希望を持てない苦しみを持った人を救済する一種の考え方、哲学をメインとしていた。

 

あれも欲しいこれも欲しいという貴方の希望は(努力しても)叶わないが、

欲しくない、それが無くても私は今のままで充分満ち足りているという境地に入れば苦しみは無くなるという発想の転換だ。

仏教は全て自分の考え方次第で世の中が変わるという事をベースにしている。

(個人的にここが最もお釈迦様はマジで天才だなと思う所だ。)

だから着るものもボロ切れ1枚で良いしご飯も残飯を分けてもらうだけで良い。それでも幸せだから。

 

 

言ってみれば仏教は苦しみの原因を徹底的に構造分解した論文だ。悩んだ時に「その苦しみはこれにあたるのでこう考えたら良い」というお釈迦様の考え方を体系化した2600年くらい前の教え、心の処方箋だった。
この教えが余りにも多くの人を救ったのでお弟子さん達が(あの人すげえ良い事言ってたよなと)文字にしてまとめ、一生懸命広めたのがお経だ。(他にも有るらしいが)


その後色んな解釈がなされる内に仏の(お釈迦様が定めた内容通りに)修行をしている人だけが悟りの境地へ達するという考えが徐々に変わり、これを否定する形で(修行してない人でも全員悟りを得られるとする考え方で)大乗仏教(だいじょうぶっきょう)が生まれ、日本に伝わっている。

南無阿弥陀仏と唱えれば極楽へ行けると説いた法然さん(浄土宗)や親鸞さん(浄土真宗)が分かりやすい。

般若心経はこの大乗仏教に準している。

 

さいごに

 

筆者は多くの日本人と同様、そこまで信心深くない。

筆者の家の墓は浄土宗なので筆者も浄土宗信徒なのだと思うが、浄土宗や浄土真宗で絶対的な存在である阿弥陀如来様のような事を言われても神話のように感じてしまい話半分になってしまう。

超自然的で何でも出来ちゃう全知全能な存在より、強力な力を持ってはいるが万能ではない、時にはミスもすると言われた方が自然に思えてしまう。(仏教含めあらゆる宗教を悪く言うつもりは毛頭有りません。個人の感覚です。)

世界を創造するという途方も無い一大プロジェクトが出来たとしても、人間1人1人を常時監視するのは無理だ、作業の種類が違うしそこまで手が回らんだろうと思ってしまう。

 

 

この辺の考え方は仏教や般若心経を勉強した今も変わっていない。

死後の世界観も同様だ。

地獄や極楽とか三途の川とかはよく分からないので科学的な考えの方が好きだ。

人間も石も全ての存在は同じ、本質は質量であり、死ねば別の物質になるだけ。輪廻転生が有るとすれば自分という存在も別の物質の一部になる事。

般若心経の色即是空は正にこれに通じるので筆者には合っていた。

 

死後もあっちからこっちに来るとか見守ってるとか言うより、その存在ではなくなるけど別の物質にはなってるよ、というのは信じようと信じまいと事実だ。概念の話ではない。

完全に消えるわけでなく形を変えている。

変な話、事実であるからこそ逆に死後もその存在を感じられ悲しみも受け入れられる。

 


次に「何故般若心経を葬式で読むのか」だが、それはまだ分からない。
今度坊さんに聞いてみようと思う。


そもそも死者に唱えているのか遺族に唱えているのか知らないし宗派によっては読まないとこも有るのかもしれない。
般若心経も、以無所得故が無いバージョンが有る(法隆寺に伝わっている梵語の般若心経ではカットされている)らしく複雑だ。

 

冒頭に書いた通り般若心経は国や地域を越えて多くの人の共感を呼び今なお愛されている。
筆者もその境地には程遠いが実体が無い物を奪い合って争う事はやめたいと思う。

戦争も然りだ。

 

 

やはり勉強してみると楽しくなる。

仏教の考え方も好きで、今更ながらなぜこんなに信徒が多いのかその魅力が分かってきた。

他の人の解釈も読んでみたい。肝心なのは自分でどう感じたか。

子供に聞かれた時に何となく、概念だけでも説明できるようにはなっておきたいと思う今日この頃だった。

 

 


おしまい。

 

最後にふりがな付きでフルを記載しておく。
本当の写経ではないがまぁこれも現代風の写経と言えば写経だ。
正しい改行・スペースの位置を知らないのでご参考程度に。

 


【仏説魔訶般若波羅密多心経(ぶっせつまかはんにゃはらみたしんぎょう)】

観自在菩薩(かんじざいぼうさー) 行深般若波羅蜜多時(ぎょうじんはんにゃはーらーみーたーじー)照見五蘊皆空(しょうけんごうんかいくう) 度一切苦厄(どいっさいくやく)
舎利子(しゃーりーしー) 色不異空(しきふーいーくう) 空不異色(くーふーいーしき) 色即是空(しきそくぜーくう) 空即是色(くうそくぜーしき) 受想行識亦復如是(じゅーそうぎょうしきやくぶーにょーぜー) 
舎利子(しゃーりーしー) 是諸法空相(ぜーしょーほうくうそう) 不生不滅(ふーしょうふーめつ) 不垢不浄(ふーくーふーじょう) 不増不減(ふーじょうふーめつ) 是故空中(ぜーこーくうちゅう)
無色無受想行識(むーしきむーじゅそうぎょうしき) 無限耳鼻舌身意(むーげんにーびーぜっしんいー) 無色声香味触法(むーしきせいこうみそくほう) 無眼界乃至(むーげんかいないしー) 無意識界(むーいーしきかい) 無無明亦(むーむーみょうやく) 無無明尽(むーむーみょうじん)
乃至無老死(ないしーむーろうしー) 亦無老死尽(やくむーろうしーじん) 無苦集滅道(むーくーしゅうめつどう) 無智亦無得(むーちやくむーとく) 以無所得故(いーむしょくとっこー) 
菩提薩埵(ぼーだいさった) 依般若波羅蜜多故(えーはんにゃーはーらーみーたーこ) 心無罣礙(しんむーけいげー) 無罣礙故(むーけいげーこー) 無有恐怖(むーうーくーふー) 遠離一切顛倒夢想(おんりーいっさいてんどうむーそう)
究竟涅槃(くうぎょうねーはん) 三世諸仏(さんぜーしょーぶつ) 依般若波羅蜜多故(えーはんにゃーはーらーみーたーこ) 
得阿耨多羅(こーとくあーのくたーらー) 三藐三菩提(さんみゃくさんぼうだい) 故知般若波羅蜜多(こーちーはんにゃーはらーみーたー) 是大神呪(ぜーだいじんしゅー) 是大明呪(ぜーだいみょうじゅー) 是無上呪(ぜーむーじょうしゅー) 是無等等呪(ぜーむとうどうしゅー) 能除一切苦(のうじょういっさいくー) 真実不虚(しんじつふーこー) 故説般若波羅蜜多呪(こーせつはんにゃーはーらーみーたーしゅー)
即説呪日(そくせつしゅうわつ) 羯諦羯諦(ぎゃーてーぎゃーてー) 波羅羯諦(はーらーぎゃーてー) 波羅僧羯(はらそーぎゃーてー) 諦菩提薩婆訶(ぼーじーそわかー) 般若心経(はんにゃーしんぎょう)

棹は三年、櫓は三月

 

2週に1度のペースで参加させてもらっている和船。

日曜で4回目だった。

 

操船は難しい。


筆者が所属してる団体は棹を使わない。
岸にぶつかってしまった時にグイっと押す棒(名前知らない)は有るが地面に刺して突き進む棹は無い。


だから櫓だけで進む。
その櫓の扱いだけでも3か月というのだから何事もマスターするのは難しい。


なんとか(最も簡単な)前進だけは様になってきた。
それでも1時間くらい漕ぐとクタクタだ。
師匠方いわく無駄な力を使い過ぎているらしい。
帰宅するとハンパじゃない疲労を感じ次男の昼寝と一緒にガーガー熟睡してしまう。

 

 

 

日曜は初めて火の見櫓の前まで行けた。

 

そしてUターンや接岸を習った。

車もそうだが前に進むより曲がったり駐車する方が遥かに難易度が高い。
船にはブレーキ機能が無いので漕ぐのをやめるのと左右に振るだけで速度調節しないといけない。


結果、Uターンはあと川幅が倍くらいにならないと回れない程の大回りをしてしまい大笑いだった。
接岸はなんとか形になった(師匠が助けてくれるし)。


棹(さお)は三年、櫓(ろ)は三月。
まだまだかかりそうだ。


運転免許のような試験が有り、それに合格すればお客さんを乗せられる。
NPOなのでお金は取らないがMAX20人近く乗せるのだから責任は重大だ。


正直まだまだ他人を乗せたくは無い。怖い。
いつかは乗せたいので小話でも出来るよう船やこの川(新川)の歴史を勉強をしている。

 

ところで棹は三年、櫓は三月のように「辛抱しろ」ということわざや格言は沢山あった。
今は必ずしも辛抱が美徳という時代ではないが、辛抱すると良い事も有るので何とも言えない。


似たような意味の言葉を集めてみた。

  • 商いは三年
  • 顎振り三年
  • 櫂(かい)は三年、櫓は三月
  • 石の上にも三年
  • 首振り三年、ころ八年
  • 三年、飛ばず鳴かず
  • 三年経てば三つになる
  • ぽつぽつ三年、波八年
  • 桃栗三年柿八年
  • 禍も三年経てば用に立つ


どうにもこうにも人は耐える目安に3年を用いるようだ。
若い人にとって3年は長いだろうが年を取ってしまうと3年は短い。

だからおそらくこういうことわざは比較的高齢者が考え伝えていったのだろうと思う。

(若い人なら半年とか1年とか言いそうだ。)

 

 

子供と見物に来た妻も何故か指導を受けていた。

 

 

メンバーの9割が70歳前後を占めるが昨今テレビや地方紙に取り上げられる機会が多くギャラリーや体験入会の人も増えてきた。

筆者の他にもアラフォーが数名居る。

そう言えばこの回で正式な会員になれた。

 

見学に来るとアイスが食べられるので喜んで来る兄弟。

 

 

育児で参っていたが思い切り船を漕ぎ、水の上の極上な時間を味わうと頭がすっきりする。

末永く続け、自分の教えてもらった技術を次代にパス出来るような人になりたいと思う。

 

 

おしまい。

 

止まらないイヤイヤ期、魂の叫び

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(画像元:イヤイヤ期の写真素材|写真素材なら「写真AC」無料(フリー)ダウンロードOK

 

 

はじめに。

何も解決へは導けません。

エピソードを交えて笑いになるようにしたかったけど魂の叫びになってしまった。

 

同じ悩みを持つ親に「ウチも大変だよ」、「お互い大変だよね」という事だけ伝われば幸いです。

ウチの方が大変という人には敬意を、ウチよりはマシという方には元気を届けたい。


全国の戦士達、同志達よ。

終わりは見えないがいつか終わると信じて諦めよう。


望んで生んだのだからそれくらい我慢しろという外部の意見など聞く耳持たなくていい。
100点満点の親など存在しない。
釈迦も孔子もイエスガンジーマザーテレサもイヤイヤ期の子を前にすれば無力だったはずだ。


あんたがたは立派だ。俺も立派だ。それで良い。
ご飯が総菜だから何だ、3食食わせて体を清潔にしているなら充分じゃないか。
総菜の何が悪い、何も悪くない。

疲れてるんだ。出前館で良いじゃないか。

特にこの健康主義の現代総菜は本気で健康上何も被害は無い。

総菜だって誰かが一生懸命作ったんだ、それを一生懸命働いた金で買ってるんだ。

何も悪くない。

 


何から語ろうか。

筆者は4歳と2歳の男児を育てている40歳のおじさんだ。
共働きで妻も同じ年。

以前も書いたが我が家は現在、家事は妻、育児は夫と役割が決まっている。

いま正に最盛期のイヤイヤ期な次男に手を焼いている。
軽くノイローゼだ。


何が1番しんどいか決められないが真っ先に浮かんだのは開口一番の「イヤ」から始まる事だ。


ヤバいなと思ったのは昨日の朝だった。
起きなさい、ご飯食べなさい、お皿持ってきて、お着換えしよう、歯磨きしよう、保育園行こう。
一連のルーティンに全て「イヤ」が付く訳だが、
それに立ち向かう気力がなく声が出なくなった。


「もう嫌だ…」
次男ではなく自分が口にしていた。

 


「あーそんじゃもう知らない」「勝手にしろ」
今朝だけでも数回口にしたが昨日はそれすら出なくなった。


(立派な親ならこんな事言わないんだろうが立派な人間じゃないんだ俺は。)

 


頑張って出発出来るまでの最低条件を満たそうという気力が湧いてこずへたり込んでしまった。


ご飯食べなさい⇒嫌だ
じゃあ食べなくていいわ⇒嫌だ
食べるの?⇒嫌だ
じゃあ食べなよ⇒嫌だ
どうしたいの?⇒嫌だ
先に着替える?⇒嫌だ


分かっている。

まだ論理的に考えられる年齢ではない。

 

キツイ言い方をしても良い事はない。

やる気を促すよう誘導するんだ。

分かっている。

そんな事は分かっている。
筆者だけでなく全国の親はみんな分かっている。

街で子供にキレてる親御さんもみんな分かっている。

 


でも出来ないんだ。


最初はやっていたんだ。
手を変え品を変え、優しい言い方で。


でも毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日これだと無理だ。


「もう嫌だよ。もう無理だよパパ。」


次男にそう告げた。


「イヤだ!」


予想された返事が返ってきた。


もう何もかも諦めて着替えだけさせて保育園へ送り出した。

 

いつもと様子の違う父を見て4歳の長男が色々やってくれたのが唯一の救いだった。

会社は休んだ。


休んで健康ランドへ逃げた。
もう本当に嫌だった。

 

今は少し落ち着いたのでこれを書いている。

心のバロメーターとかバイオリズムみたいなので可視化したら昨日筆者は物凄い下降してただろう。


怒るも励ますも出来ない、放心状態になった。

15時くらいに自宅へ戻ってきて、あと少しで次男と顔を合わせるのかと思うと憂鬱になった。


シングルマザー、シングルファザーは頼れる人もなくこれをやっているのかと思うと驚嘆だ。


帰宅後の次男は相変わらずイヤイヤしてるものの、

心なしかいつもより抱っこをせがみ食べさせてと言い甘えてきた。

 

別にこちらを嫌っているわけではない。

人間の脳は複雑で色んな事が出来るから小さい内はバグを起こす。

大人になってからバグを起こすと大変なので子供の内に起こして感情の起伏に慣れさせてるのだ(たぶん)。

 


毎日叱られて、時には「あんなにキツく言う必要なかったな」とこちらが反省するほど怒っても、
それでも毎日抱っこ抱っこと言ってくる。


先週くらいにTwitterで「無条件で愛されているのは子供ではなく親の方」というツイートがバズっていた。
本当にその通りだと思う。

 

半年くらい前から復活した夜泣きも精神が削られている。

昨日は寝不足も相まって本当に参ってしまった。

 


これからも参るだろう。

長男にもイヤイヤ期は有った。

次男ほどひどくは無いように思うが長男も長男でキツかった。


そんな長男も今では良いお兄ちゃんをしている。
イヤイヤ期はいつか終わるのだ。

たった数年では終わらない介護とは違う。

出口は見えないが出口が確かに存在しているのだ。


長男の経験でそれを知っている分、いくらか違う。

台風と同じで過ぎ去るのを待つしかない。

 

打開策はない。早く終わらせる方法も無い。

早く立たせる、早く歩かせる、早く喋らせる、そんな事は出来ないのと同じで成長なのだ。

心ではなく脳の成長だ。そう理解するしかない。

 

会話が出来るばかりに「何で分からないんだ」と思ってしまうがまだ歩いて喋れる赤ちゃんくらいの発達だ。

期待値を下げる。


出来る事は、諦めて成長を待つ。

それだけだ。

 

そう自分に言い聞かせる。

読んでくれてありがとう。貴方も立派だ。

 

おしまい。

※ネタバレ有り 「ある戦争」の感想

ある戦争 - 映画情報・レビュー・評価・あらすじ・動画配信 | Filmarks映画

 

先週は「コリーニ事件」、「ラスト・ディール 美術商と名前を失くした肖像」について書いた。

 

 

どちらも名作で、その流れでおススメに出てきた「ナイブズ・アウト 名探偵と刃の館の秘密」も見てみた。

そこそこ面白かったけど「これだけの名優揃えてもこんな感じか」という感想(☆を付けるなら3)だったのでそちらは省く。

 

というわけでその次に見た「ある戦争」の感想を書く。

 

ある戦争

 

ストーリーとしてはとても簡単な物なのであらすじは3行で終わる。

 

国連軍としてアフガニスタンに派兵されているデンマーク兵団。


現場指揮官で有る主人公の部隊は時折タリバンがやってくる民間人居住地区の巡視任務に従事している。
部下からは「こんな任務意味有るのか」と不満をぶつけられる毎日。
ある日、民家近くで銃撃戦が始まり兵士の1人が重傷になる。
急ぎヘリコプターで移送しないと死ぬであろう状況だが敵は視認出来ない。
敵の存在を明確に出来ないまま空爆要請するが、本部は「確実に敵が居るエリアだと断定出来ない」と却下される。
追い詰められた主人公は通信兵に「(嘘でもいいから)敵を見たと言え!!」と命じ、空爆が開始される。

安全地帯を確保出来た事で負傷した兵士は一命をとりとめ病院から無事を報せる吉報が届く。
喜んだのもつかの間、法務局が主人公を訪ねてくる。
主人公の要請した空爆で子供を含む民間人11人が亡くなってしまったので告訴されるという。
帰国し犠牲者の映像と当時の状況を振り返り判断に自信が無くなる主人公。
果たして判決の行方は・・・。

 

書いてみたら全く3行で終わらなかった。

これでもだいぶ端折ったのだが難しい、文才が乏しい。

 

ちなみに主人公の役者さんはピルウ・アスベック。

筆者が大好きなドラマ、ゲームオブスローンズで「ユーロン・グレイジョイ」を演じていた。

かなりファンキーな役柄だったのでこの映画の重圧的な雰囲気に慣れるまで少し時間がかかった。

 

 

映画の特徴として徹底的に音楽を排除している。

視聴中はそれに気が付かなかったがエンディング直前でたった1度だけ使用されるのでハッとした。

 

映画としてのテーマは難しい。

題材として充分に有り得そうなシチュエーションを作るから、みんなそれぞれが何か感じ取ってくれという解説が無い潔い作り。

 

コリーニ事件のように「貴方ならどう裁く」という風にも取れるし、

貴方が主人公と同じ立場ならどうしてたかと言う風にも取れる。

同じ立場というのは銃撃戦の最中もそうだし裁判中もそうだ。

罪を自覚し有罪を受け入れようとする主人公だが、1人で3人を育てる妻から「お願い無罪を勝ち取って」と懇願される。

 

妻側の苦労もたっぷり描写されるので、妻がどういう気持ちで懇願してるかを視聴者は理解出来ている。

 

そして当日の現場を見ている我々視聴者は敵の存在が確かに有った事を知っている。

空爆標的となった第6地区なのかは分からない、姿は見えないが実際に弾がガンガン飛んできていた。

喉を負傷しあの世に片足を突っ込んでいる部下を目の前にしながら取るべき行動は一体何が正解なのか。何が最善なのか。

 

主人公の判断は正解か最善か。

部下の命を救うという点に置いて最善だったように思える。

だが結果、(おそらく)何の罪もない民間人が死んだ。それも大勢。子供も居た。

 

1人の部下を救うか民間人の命を救うかという天秤は後になって分かったものだ。

当時その場にまだ民間人が居るとは思っていなかった。直前に行った家では子供を含めて家族全員殺されていた。

主人公達には分からなかった。

そもそも頭の上や体の横を弾がバシバシ飛んでいる状況でどれくらい把握出来るものなのだろうか。

続く銃声、反撃しようにも敵が何人でどこにいるかもわからない。

刻一刻と死に向かっている部下、止まらない攻撃、見えない敵。

全滅の可能性も充分有った、一体どうすれば良かったのか。

 

 

帰国して裁判が始まる。

民間人に犠牲者が出た以上、裁かないわけにはいかない。

 

本作では検察の女性が少し嫌な奴風に描かれている。

主人公の言い分は「自分は見てないけど敵は居た。誰かが見たと言った。誰かは覚えてない。」という無理の有るもので、どの兵士も「俺が言ったんじゃない」と口を揃える。

緊迫した主人公とは裏腹に担当した裁判が優位に進む事で思わずニヤついてしまう。

深刻な裁判なのに遠慮がちながら「んなアホな」という吹き出しもしてしまう。

安全な場所で、正常な状態で、ゆっくりと検討出来る状況にあれば主人公も違う選択肢を取ったかもしれない。

検察側はそういった状況を鑑みず正論を口にし続ける。

(検察の役割としては正しいようにも思える。)

 

状況は全く異なるが「ハドソン川の奇跡」でも機体故障で川に着水した主人公が検察に何でそんな事したんだ空港に戻れば良かっただろう、と追及される。やはり安全な場所で、正常な状態で、ゆっくりと検討出来る状況ではなかったというリアルな状況が置き去りにされていた。

 

最善の方法と思われる行動を取った結果、子供が爆撃で死亡。

これは罪かどうか。

非常に重たい内容で、判決の結果がどうあれ主人公はこれからも苦悩し続けるであろう事が表情の描写からうかがえる。

 

感想

筆者は国際情勢に疎い。

人口約583万人という千葉県より少ない小国であるデンマークアフガニスタンへ派兵してるなんて知らなかった。

以前見た「ハイエナ・ロード」でもカナダが派兵してる事を知らなかった。世界的に見たら金や物資しか出さない日本の方が特異なのかもしれない。

 

正解と最善は違う。

何をどうすれば良かったのか。

あらすじからは省いたが冒頭で巡視任務中に若い兵士が地雷を踏んで死亡している。

そもそも部下たちも不満を持っていたあの任務は必要だったんだろうか。

そもそもデンマークアフガニスタンに派兵する必要は有るんだろうか。

そもそも国連軍の存在意義とは。

 

そういった事を考えさせる為、一石投じる目的で作られた映画なのかもしれない。

 

驚いたのはAmazonプライムのトップレビューの内容が「この映画はハッピーエンドで締めくくられているがそこに違和感を…」といったものだった事だ。

 

これでもかと主人公の苦悩を見せつけ、おそらく未来永劫自分を責め続けるであろう描写がラストシーンなのだけど…。

受け取り方は人それぞれだなと改めて思った。

 

 

ロシアによるウクライナ侵攻が1日でも早く終わる事を祈ります。

おしまい。

※ネタバレ有り「ラスト・ディール 美術商と名前を失くした肖像」

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前回コリーニ事件を書いたので今回はこちら。

※重大なネタバレが書いてあるので見てない方は読まないでください。
 回顧用です。

 

 


本作はコリーニ事件より更に辛気臭い映画だ。
まず主人公が倒産ギリギリの80~90くらいの老人店主であり病気を患っている。
筆者が10代、いや20代でも興味を示さなかっただろう雰囲気がそこに出ている。


「ラスト・ディール 美術商と名前を失くした肖像」


舞台はフィンランド
曇りの日が多い北欧らしく、どんよりした天気でどんよりした展開が続く。
(かつて「水曜どうでしょう」で大泉洋さんも北欧の天気に精神が崩壊しかかっていた。)


<あらすじ>


主人公の商才乏しく厳しい経営状態で続けたきた絵画店も、自身の老齢と体調の悪化に伴い限界を感じていた。
「最後に何か大きな仕事を。名画と出会い商談をまとめたい。」
そう思って歯を食いしばるものの中々予算内で買える名画はオークションには出回らない。
そんな折、出品予定の中に気になる絵を発見する。


シンプルな、男の肖像画
主人公の見たところ僧侶か何かだと推察するが、同じく画商の友人は作者のサインが無い事から大した絵ではないと予想する。

 

どうしても頭から離れず調査をするため、

初めは断っていた孫の職業訓練カリキュラムをOKし、店番や調査をさせる。
すると近代美術の巨匠レーピンの作品である可能性が出てきた。

 

本物だとすると10万ユーロ(約1400万円)以上の値打ちだが証拠となる写真入りの資料が無い。
確証が得られないままオークションは開始されるが…

 

 

 

こんなところだろうか。
これが例えば画商を始めたばかりの孫なら恋愛シーンなども盛り込んで華やかな作品になると思うが本作は「うだつ」の上がらない、これからも上がる要素のない爺さんだ。


登場人物は軒並み辛気臭い。


主人公…老人画商。男。病名は不明だが薬を常用している。経営状態はかなり厳しい。娘から好かれていない。

 

孫…行儀が悪く補導歴が有る。疎遠だったが学校の職業体験カリキュラムの一環で主人公の店に来る。

 

娘…離婚して1人で育児中。家族を大切にしない父と距離を置きつつも孤独で病気の現状を心配はしている。

 

画商の友…主人公の友人。主人公の体やお店の事をいつも気にかけている。

 

同業の男…新しいテナントを探している。主人公の店は立地の割に店賃が安いので狙っている。

 

オークション社長…美術品を画商に売る競市を営む。一度契約不履行した主人公の事を快く思っていない。

 

徹底してどんよりした天気、照明、話の展開が続くが
それ故に孫の奔放さや、娘との関係改善などが一筋の光となって淡く優しい雰囲気にさせる。

 

 

 

最初は疎ましく思っていた孫が主人公の留守中に商談をまとめて(しかも利益を上乗せした)たり、
絵の調査を続ける内に2人の関係は良好に。
絵に何故サインが無いかを孫のタブレット端末で美術館に問い合わせする。


予想外にオークションは盛り上がり1万ユーロ(140万円)まで値が吊り上がるも何とか絵の購入権を獲得。
友人に呆れられるも孫の活躍でオークション直前に確証となる写真を手に入れていた。
作品名は「キリスト」。

主人公の目は正しかった。

 

何とか方々から金をかき集め、最終的には孫をはぐらかして貯金を引き出させて購入。


元々レーピンの絵を欲しがっている資産家を呼びつけ商談をまとめ、孫に報告し2人は大いに喜ぶが
本物のレーピンの絵である事を知ったオークション会社の社長の妨害により破談になってしまう。


破談になった風評は業界内を駆け巡る。

もうこの絵を売る事は難しいと判断した主人公は閉店を決意。
孫の貯金の事が娘にバレて絶交され、孫とも疎遠に。

絵の購入資金のほとんどが借金であるため、テナントを欲しがっていた同業の男に店の権利を売る事で返済する。
レーピンの絵は残ったが落胆し疲れ切った主人公の元に1通の電話と手紙が届く。

手紙は孫からで、職業訓練の評価シートには受け入れた店へのお礼と学生側評価の欄が有った。
5段階評価なのに孫は「6!!」と手で書き加えれていた。思わず顔がしわくちゃになる主人公。

そして電話はサインの事で問い合わせをしていた美術館からで、
「あくまで予想だがレーピン自身はこの作品を売買ではなく聖画として描いたのだと思われる。自身の評価より他者や神への気持ちを捧げるものであったのではないか。」という内容でやはり胸を打たれる。

 

晴れやかな気持ちで引退後の生活を始めるも病気のせいか主人公は間もなく他界。
事情を知らない娘は遺品整理でオークション会社の社長を呼ぶ。

レーピンの作品で有る事を伏せられキリストの絵を指し「この絵だけは返品すれば特別に購入額を全額返金する。」と言う提案をされる。

しかし絵の真実を知る孫と遅れてきた主人公の友人の猛反対で阻止される。
社長は絵の裏に手紙が添えて有る事に気が付き娘に渡す。

主人公の声で手紙が読み上げられる形でエンディング。

 


感想

終わってみれば非常にハートフルな作品。
95分中65分は劇的な展開が無く、多少のバウンドは有る物の若い人には退屈と言われても仕方のない作品。
それでもAmazonプライムの評価はとても高く、筆者も非常に楽しめた。

日本より平均年収が高く、高額な消費税の代わりに福祉が充実とやたら日本の評価が高いフィンランドが舞台だが、
実際庶民の生活は別に日本と差して変わらない印象を受けた。

主人公も娘もお金に全く余裕がなく、主人公の周りも裕福な人は居ない。
唯一レーピンの絵を求めていた顧客は逆に金持ちで、貧富の格差が北欧にも存在する事をありありと感じさせる。


そういった事情もあり天気こそ悪いが、余りなじみの無い国の普通の街並みを見ているのも楽しい。
主人公の店や家は古典的な作りになっているし、途中出てくる喫茶店や図書館も日本人好みな「おしゃれな北欧」が現れていて良かった。


ストーリーは展開が少ないからこそ多少の波が大きく感じ、
どんよりした雰囲気だからこそ孫や娘との関係改善にほっこりする。

また、笑わないし病気でしんどそうだし経営が苦しい主人公だが、気分が良い時は口笛を吹く。
この口笛が筆者はとても印象的だった。

なにせ口笛を吹いたシーンのまま他界したシーンへ移行するからだ。
悲しみを感じさせない制作側の非常に上手いやり方に感動した。

 

 
 

「まあまあ、レーピンの絵なんでしょう。おそらく」

という予想を裏切らない形で特に驚きはなく話は進む。
あと30分しかないけどここから劇的な展開になるのか?という余計な一抹の不安も感じた。

 

しかし一世一代の大勝負、勝っては無いが負けても居ない、大事な物を家族に残せた主人公の最期は口笛と共に良い人生の終わり方だった。
終わり良ければ総て良しという形で、存命中に娘との和解は出来なかったが手紙を読んだ後の感情は推して知しるべしという方で多くは語られず終わるのも潔くて良い。

 


大人向けのしっとりとした、長い小雨から雨上がりの日差しのような良い映画だった。

おしまい。