つつがなくそつがなく

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子供に対して宗教の説明とか仏壇とか位牌とかお墓とかの話

 

お墓・墓石のイラスト(日本) | かわいいフリー素材集 いらすとや

 


昨日般若心経について1年間勉強して感じた事を書いた。
宗教に関してどう子供に伝えるのが良いかとか仏壇の事とかぽつぽつ書く。


<筆者の家族>
筆者・・・40歳。2児の父。平凡なサラリーマン。江戸川区に住む。姉が1人居る。

妻 ・・・40歳。たまに夫がブツブツお経を読んでるので訝しむ。姉が1人居る。

長男・・・4歳。絵本に書いてある「寿限無(じゅげむ)」を覚えたのと同じノリで般若心経をブツブツ読んでる筆者を真似してくる。

次男・・・2歳。イヤイヤ期真っ盛り。まだ字が読めないのに音だけで寿限無を覚えてしまった、子供の集中力というのは凄い。

 

子供に「死ぬってどういう事なの?」と聞かれた時、どう答えるのが良いんだろう。


筆者はそれほど信心深くない。
お盆や実家に行ったついでにお墓参りはするが極楽とか地獄とかの存在はぼんやり受け止めている程度だ。
おそらく多くの現代日本人はそうだと思う。

筆者に至ってはぼんやりしている為、実家が何の宗派かだったかすらちゃんと記憶してなかった。(浄土宗だった。)


よく外国人に宗教は何を信じてる?と聞かれ「特に無い」と答えるとドン引きされるという話を聞くが
実際外国人の友達(台湾人、インド人)にそんな事は聞かれた事も無いし聞いたこともない。人によるんだろう。


家でぶつぶつ般若心経を覚えているので子供が興味を持った。
比較的記憶力が良い長男は「これじーじのお寺でやったやつ?」と聞いてきた。
感心と驚きつつ「そうそう、よく覚えているなぁ」という会話をした。意味までは聞かれなかった。
般若心経というよりお経の冊子が渡されたので漢字がいっぱいだったのを思い出したんだろう。


今はまだ義父(子供からすればの祖父)の死という事もよく分かっていない。
自分自身がそれほど信じているわけではないが「天国に行ったんだよ」と伝えてそれで終わっていた。

天国ってなに?とは聞かれなかった。

 

子供に伝える宗教観


自分自身の子供の頃を思い浮かべると小学生2年か3年生の時、死というものが凄く怖かった記憶が有る。
何かよく分からない、暗い、音もしないイメージでただただ恐怖だった。

毎日ニュースで子供が死んだとかウクライナ侵攻で民間人が何人死んだとか流れてくる。
それを見ながら息子達は「早くお食べ」と言われモグモグしている。

宗教観もそうだが戦争についてもそうだ。
ロシアという悪い国がウクライナを攻めているという乱暴な説明ではロシア人みんなが悪党になってしまう。
説明は難しいから気を付けないと。

 


ところで宗教と死は凄く密接な関係にある。


みんな死が悲しすぎるから死後の世界という物を創造し、死者がそこで平穏に暮らしてると願う事で悲しみを乗り越えようとしたんだろう。

日本で言えばお墓に匹敵するものは縄文時代から有る。
有る程度仏教の勉強をしているが、それでも死後の世界や絶対的な力を持つ存在を信じろというのは筆者には難しい。
(仏教を含めあらゆる宗教を批判する意図は有りません。)


思うに、飛行機が無い時代はまだ雲の上がまだ未知だったので神様が居ると本気で信じられた。
だから超自然的な、オカルト的な逸話も割とすんなり受け入れられたんだろう。
神、仏の他に悪霊とかそういったものも信じられていた。夜も電灯がなく今より遥かに暗かった時代だ。
(なにせ病気を治す為にお百度参りする時代だ。)


布教する上でも、今より死がもっと身近だったので死後の世界や超強力な存在が救ってくれるという話が受けたんだと思う。
例えばお釈迦様はお母さんの脇の下から胎内に入ったとか、生まれてすぐに歩いて天上天下唯我独尊と言ったとか、
現代人の感覚からすると信じるのが難しい逸話が有る。

仏教以外でもモーゼさんが海を割ったとかイエスさんが水をワインに変えたなどがそうだ。
ケチを付けるつもりはない。馬鹿にしているわけでもない。

今の感覚で鵜呑みにするのは難しいという話だ。

後から信者が神格化する為にそういう伝説を付け加えたとシビアに見るのが現代人だろう。


へそ曲がりな筆者はこの神秘的な側面は今や布教の邪魔になってすらいると思う。
(敬虔な信者の方からすればこのブログはご不快だろうと思う、ごめんなさい。)

他の宗教は知らないが仏教はこの超自然的な側面を切り離しても尚充分素晴らしいからそっちをもっとアピール出来たら素敵だなと思う。

 

少なくとも子供に宗教の話をする時、やれ異教徒は地獄に落ちるだの神の名は1つだのという争いの種になる話はしない。

信じる物が違うという些細な理由で争う事を神様は望まないだろう。

 

最初の議題に戻るが子供に「死ぬってどういう事なの?」と聞かれた時、どう答えたら良いんだろう。

筆者の属する浄土宗の教えによれば他力本願だ。
南無阿弥陀仏と唱え阿弥陀如来という圧倒的な存在の力におすがりする事で死後救われると言う。
(お姿は鎌倉の大仏様だ。)


それを子供にそのまま伝えるのは確かに簡単だ。
浄土宗、浄土真宗が爆発的に広がったのも納得できるシンプルな教えだ。
だが自分でも眉唾な事を子供に伝えるのもどうなのかなと思う。


もちろん墓や仏像の前では手を合わせたり、葬式や法事ではお焼香をして故人の冥福を祈っている。
それでも「なんと伝えたものか…」とぼんやり考えてしまう。
正解は分からない。
ただ息子たちが他宗教へ改宗しても受け入れるだろう。(その宗教の教えによっては反対だが)

 

 


あと仏壇とお墓だ。

筆者に関係する仏壇は4つ有る。
実家、妻実家、祖父母家、妻の祖父母家。
それぞれに仏壇が有る。関係有るか分からないが宗派も違う。

 

これどうするんだ将来。
みんなどうしてるんだろう。

仏壇は1つだけ引き取って位牌は姉と半分こ?そんな事はしないだろう。

姉とどちらが管理するのか話し合わねば。
妻実家の分も妻が姉と話し合う必要が有る。

 

お墓もそうだ。


実父、実母が入るであろうお墓は東京の実家近くに有るから問題ない。
だが祖父母が入るであろうお墓は遠距離に有る。
妻実家もそうだ、義母は義母の母と同じ墓に入りたがってるし義父は義父で先祖代々の墓に入った。

いっその事みんな同じお墓に入ってくれと思わないでもないが遺骨は祖父母だけでなく先祖代々有る。
調べたら合祀(ごうし)と言ってご先祖の遺骨を1つの骨壺にまとめる事が出来るらしいが
家系の違う全くの他人の遺骨をまとめるのは何となく気か引ける。

こんな事を考える年になったんだなぁ。
みんなどうしてるんだろう。

 

おしまい。

 

 

 

 

余談

宗派は違えど仏教の定義は仏様(お釈迦様)の教えを信じ、教えに委ねる事を指す。
その教え、文言は不変だが解釈が時代によって変わる。


原子的な仏教では仏陀ブッダ、悟りを開いた人、真実に目覚めた人)は稀にしか誕生しない。
どれくらい稀かというとお釈迦様が亡くなった56億7千万年後だ。(稀という感覚では追いつかない。)
その方は弥勒菩薩(みろくぼさつ)という称号なのか屋号なのか分からないがそういった名で予約されている。

 

仏教では諸行無常(どんなものもいつか滅びる)という絶対的な真理が有るのでお釈迦様(釈尊、シッダールタさん)の教えすらいつか滅びるとされる。(書いてて思うがやっぱり凄いなお釈迦様。)


お釈迦様が亡くなっている今は無仏時代だ。この間は地蔵菩薩がお救いくださると言う。(だからみんなお地蔵さんを大切にしよう。)
そんな後まで地球は持つのかという疑問も浮かぶが何も地球に限っての話ではないので他の惑星、他の銀河の話かもしれない。

 

だがそれだとちょっとな・・・と考える人が居て、解釈を変えて(お釈迦様はああ言ってなさるけど実はこう言いたかったんじゃないかという事で)仏陀はたくさん居る、薬師如来阿弥陀如来とか、最終的にあんたも仏陀に成れるチャンスは有るとしているのが今の大乗仏教だった。


仏様の教えすら時代によって解釈が変わる、仏陀の数も変わるのだから不変な物など何1つない。

まさにこの世は諸行無常だ。