変化していく遊びと勉強
教育疲れと勉強疲れ
毎日の暮らしの中でどうしても「どうすればいい教育になるか」ばかりを考えてしまい、少し疲れが出始めた。
それは子供たちも同じようで、強制はしないものの筆者の誘導の色が濃すぎて疲れ気味に感じた。
来年から小学生の長男は、
計算、図形、読解、漢字、
それに加えて「レッスン」と呼んでいる「パターンの発見」「組み合わせ」「間違い探し」のような、教科ではない知育系を3つやる事が日課となっている。
全部ベネッセの「しまじろう」のタブレットで、こなすのに1時間くらいかかる。
4歳になったばかりの次男は、
ひらがな、カタカナ、数字(数える/1桁の足し算/大小の比較)、アルファベット
をやっている。
こちらは全部で20分くらい。
やりなさい、というのは良くないので「そろそろやったら?」くらいにしてる。
それでも強制されている感は拭えないようで「やりたくないな~」とハッキリ口にしてくる日もある。
習い事を全くしていないのでこれくらいは良いかなと思っていたけど最近自信がなくなってきた。
代替案と実感
そこで公文が出している日本地図と世界地図のパズルをAmazonで買ってみた。
勉強したくない日はこのパズルのどちらかをやったら勉強したとみなす、という御触れを出したところ、ここ1ヶ月はパズルが週4くらいのペースで選ばれていた。
また、3連休の真ん中に「がすてなーに」という博物館に行ったのだけど、
夜に長男が「勉強終わったらトラックの運転(ヨーロッパが舞台の激渋ゲーム)していい?」と聞いてきたので「今日はガスの勉強したからそれで良いんじゃない」と言ったら次男と諸手を上げて喜んでいた。
勉強に嫌気が出ている兆候かなと実感した。
勉強そのものが嫌いになってしまっては意味がないのでどげんかせんといかん。
ちなみに息子がやってるトラックの運転ゲームはこちら。Euro Truck simulator 2です。
(ヨーロッパの主要な町をほとんどこれで覚えてしまったので世界地図パズルもヨーロッパだけめっちゃ早く作る)
幼児期の学習について
幼児期に「読み書き計算を教える必要はない」という考え方も有る。
でも読み書き出来る事で学ぶ楽しさを純粋に感じられるのもこの時期ではないかなと思う。
幼児期に「すごいじゃん自分で読めるようになったじゃん!」と褒められた子と、そうでない子ではどれくらい違いが出るのかデータでは知らんのですけど、何か差が出そうな気がしてなりません。
遊びながら学ぶのが1番というのは分かっているので遊びと勉強の境目を突くんだと考えていたんだけど、最近はかなり勉強に偏ってしまっていた気がする。
焼肉きんぐでトランプを貰ったのでババ抜きとスピードを教えたら2人とも何度もやろうやろうと言ってくる。
勉強も大事だけど親子のコミュニケーションでトランプやったりすごろくしたりする時間も大事なので、勉強は2日1度に減らしても良いのかなぁと考え始めた今日この頃でした。
おしまい。
余談を2つ。
余談1
昨日家族で夕食を食べながらニュースを見ていたらイスラエルの惨状を伝えた直後に日本の自衛官が中指を立てただのピースしただのやっていて、(もちろん自衛官の行為は良くないと思うけど)日本はほんと平和だなぁと思った。
その自衛官が居た基地は今年の5月に鉄砲で上官を殺す事件が有ったところなので不謹慎だというアレだった。
余談2
マスコミの報道で「増税クソメガネ」というの、何とかならんのかな。
岸田さんの政策の評価はともかく「いじめみたいなあだ名はやめようぜ」と学校の先生が口を酸っぱくしているのに大人である我々が見てるニュースであんな汚いワード使う必要が何処にあるのか。
自分の子供がまねして同級生に「クソメガネ」と名付けていたらどう思うのか、テレビや新聞で使う前に少しは考えて欲しいなぁ。