つつがなくそつがなく

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絵本を読む時に思うこと

 

絵本の読み聞かせは世界中の親にとって、時に幸せであり時に苦痛でもある時間だ。

 

とてもウザい発言だと思うが言わせて欲しい。

筆者は絵本を読むのがとても上手だ。(自画自賛

(憎い・・・自分の才能が・・・表現力が・・・)

 

余裕の有る時ならたっぷり時間を取って何冊でも読んであげたい。

でも忙しい時や体調が悪い時は本気で苦痛だ。

 

 

そんな時はiPadの力を借りている。

ちなみに寝る前に見て良い動画はおさるのジョージに固定している。

とても良いアニメだし子供たちも楽しんでいて「他のにしたい」と言われた事が今のところ1度も無い。

おさるのジョージ【公式】 (@osaru_george_jp) / Twitter

 

 

筆者…41歳。2児の父、翌日の晩御飯を作り終えたら絵本と寝かしつけを始める。

長男…5歳。絵本より辞典や間違い探しなどアクティブ系を好む。

次男…3歳。ストーリー性の有る絵本が大好き。

 妻…家事担当。育児は夫担当なので絵本を読む事は稀。

 

 

 

 

絵本 vs iPad(親視点)

 

寝る前にiPadを使う時はこちらが忙しい時が多い。

 

iPadの良い所は読み手(こちら)のクオリティが一定に保てる点だ。

眠くて疲れてまだやる事が残っている時、それでも歯を食いしばって絵本を読むとどうしても適当になってしまう。

読んでいるこちらもストレスになるし子供たちも楽しくないんじゃないかなと思ってしまう。

 

子供たちがジョージを観ている間、休憩したり明日の事を確認したり料理が終わってなければその続きが出来たりする。

 

こちらに余裕が有る時は終わった時に内容を説明してもらう。

どういうお話だったかを説明するのは楽しいようで、2人とも俺が俺がと身を乗り出して説明してくる。

 

そういうわけで親としてはiPadを多用したい。

 

絵本 vs iPad(こども視点)

対して子供たちは絵本の方が好きだ。

 

安定して楽しいジョージを見て寝れるんだから不満は無いと思っていたが絵本の方が楽しいと言う。

 

筆者は絵本を読むのが上手い(ウザい再掲)。

絵本を読むとき、一方的に読まず会話形式で進める。

例えばぐりとぐらがカステラを作る話では「ぐりってだれ?砂糖ってどこ?」「これから何を作るの?」などを逐一聞く。

 

「正解!」とか「当たり!」とか簡単な質問を繰り返し子供たちが自信を持ってきたところで少し難しい描写を質問する。

「どうしてこの子は泣いてるの?」「どうして王様は裸なの?」とか心理描写を質問してみる。正解するまでヒントを出し続けるからどれだけ間違っていても嫌な空気にならず子供はガンガン発言する。

 

絵本は結局「国語」の授業だと思うので、楽しい国語になれば良い。

心理描写を汲むことは他人の気持ちを推し量り、悲しみや喜びを共有できる人に繋がる。

 

ちなみに(しまじろうの)英語の本は「Found」や「Number」など基礎的な「探す」「数える」なのでアレンジを加えてお題を勝手に増やしたり、「Stand」「Sit down」「Run」などは実際に体を使って遊びながらやっている。

 

だからなのか子供はiPadより絵本を好む。

単純に親とのコミュニケーション、肌の触れ合いや会話が楽しいのかもしれないが、

楽しい絵本はiPadによる楽しさを越えているようだ。

 

 

学ぶは楽しい

感想を聞いたりクイズを出したりするのは、元々は長男対策だった。

 

子供が長男だけの時、「学ぶは楽しい」を全面に押し出し続けた結果、彼は図鑑ばかりを好むようになった。

「これは〇〇って言うんだよ」「これはね、〇〇だから△△なんだよ」など

「へ~良く知ってるねぇ」とか「よく覚えたなぁ凄い凄い」と言われる快感を覚えさせ過ぎてストーリー性の有る本を好まず集中して聞かなくなってしまった。

 

このままでは「実に面白い」しか言わない某物理学者のようになってしまう。

 

それで本が終わった後に感想を求めたりクイズを出すようになると、長男もちゃんと座るようになった。

長男はじっと聞いているだけ、見ているだけ、受け身なのが苦手だ。

アクティブに、能動的でないとすぐ飽きてしまう。

それを工夫する形で変わっていった。

 

しかしやはり1つ問題が有る。

 

ただ普通に読む事に比べて格段に気力と体力を使う。

 

あー今日も楽しかったとご機嫌で寝る子供たちに対して筆者はクタクタだ。

だから安定したクオリティを担保出来るiPadに頼りたくなる。

 

結局どちらも良いものだと思うのでバランスよく併用する形でこれからも楽しい寝かしつけを継続していきたい。

 

 

 

最後に長い余談。

 

アナログVSデジタル

育児をするにあたり必ず論争になるのがアナログVSデジタルだ。

 

テレビ、パソコン、ガラケータブレットスマホ

テレビの前は漫画が標的だったらしい。

 

漫画ばかり読んでいると馬鹿になるという時代が有り

テレビばかり見ていると馬鹿になるという時代が有り、

現代はYoutubeばかり見ていると馬鹿になるという時代なんだろう。

 

デジタルを隔離している事(ウチはYoutubeもゲームも禁止してますなど)を誇らしげに語る家も有る。

 

アナログで育てるのが1番!と信じている方のお考えを否定するつもりはない。

だがアナログとはこの現代に置いてなんだろう。

 

医学的に視力や脳への懸念が有るならテレビと同じ距離を取らせればいい。

Youtubeを禁止しています、テレビを禁止しています、砂糖を禁止しています、肉を禁止しています、〇〇を禁止していますというのは本当に正しいのだろうか。

教育とは禁止する事なのだろうか。

 

禁止された子供が東大に入ったというエピソードを見て、それを子育ての正解だと考える人も居る。

現代でも有名大学へ入り大手企業で働く事が幸せへの道と考える親が多いからだろう。

 

でもはっきり言って日本経済の未来は暗い。

だから大手企業で働くより自分で起業出来る企画力と実行力の有る人間に育てた方が子の為になる。

起業するための経験として大手企業で経験を積む事は素晴らしい事だがそれを終着点と考える子は将来危険だ。

 

YoutubeSNS、インターネット。

新しい物を取り入れる時は必ず議論が起こる。

良かったのか悪かったのかは数十年後になってみないと分からない。

今のところ漫画、テレビ、ゲームで育った我々世代は特に悪影響を受けなかったように思える。

 

余談だがゲームばかりしてると目が悪くなるよ!と言っていた親や姉はメガネをかけ筆者は裸眼だ。(筆者の視力は41歳で両目共に1.0。)

 

デジタルから隔離する事で得られるメリットは有るだろう。

だが隔離する事で発生するデメリットも有るかもしれない。

 

 

また、楽をする=マイナスイメージという古来からの価値観も要因の一つだろう。

あくまで筆者個人の感覚だが日本人は海外に比べこの傾向が強く、苦労している美学・エゴが強いように思える。

日本では孤軍奮闘型を称える傾向に対し、欧米では協力者/理解者を増やすリーダー型の方が賞賛される。日本では何故か最初から最後まで全部自分1人でやらないと賞賛されない。(海外に比べ日本で優秀なリーダーが育ちにくいのはこのせいだ。)

 

筆者はYoutube化学調味料も便利家電も使えるものは何でも使う。

完全母乳、布おむつ、手作り離乳食にこだわる必要性を全く感じない。

乳児からすればそのこだわりより、もっと肌を接する時間を長くして欲しいだろうと思うからだ。

 

楽をする事は気持ちに余裕が生まれるから結局子供と触れ合える時間が増える、良質なコミュニケーションが取れると考える。

大人の世界でも忙しい忙しいアピールするより常に上機嫌で仕事をする人の方が好まれる。

 

 

また、少し別の話。

以前、藤井聡太さんが3歳の頃から遊んでいたスイスの高級積み木が話題になった。

「計12万5400円のすごい知育玩具」藤井聡太"四冠脳"を育てた藤井家の秘密 泣き虫少年が天才になった道のり | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)

3歳の藤井三冠が作ったキュボロの作品。写真を基に藤田さんが再現。最上部からビー玉を落とすと、内側を通って手前の通路を通り、手前右奥に玉が落ちるという作りになっている。

 

とても良いオモチャだと思う。

記事に有る通り隠れてしまう通路を考えて組み立てるとビー球がトンネルを通り空間把握能力が鍛えられそうだ。

 

だが、そんなに良いものなら国や自治体が大量に買い取るか、類似商品を作って全国の保育園幼稚園に配った方が良い。

教育に貧富の差が有ってはならないと訴えるなら尚更だ。

 

しかしこれを使えばみんな藤井プロになれるかと言うとそんな訳はない。

素質の有る人がこのオモチャに触れる事によって開花する事は有る、というだけだ。

 

同様に(反対に)YoutubeSNSに触れた瞬間みんな馬鹿になるかというとそんな訳はない。

どんな動画を見るか、どんな使い方をするかで道具の良し悪しは変わる。

 

どんな使い方が良いかを教えるのは親の役目であり、

親の監督の元に小さい内から経験させる事によってイジメや誹謗中傷に使用されてしまう事を防げるかもしれない。

より良い生活を育むツールとして子供たちならではの使い方がなされるかもしれない。

 

 

とは言えネットの扉を開くと危険がいっぱいなのは事実だ。

この世に悪は蔓延っていて、薬物、エロや淫行、自殺幇助、危険思想の流布、ガセネタ、などなど色々有る。

私の気持ちなんて誰も分かってくれない!と悩んでいる思春期の学生に「分かるよ、話聞くよ」なんて近づいてくる見知らぬ人との接点を作ってしまうは確かに危険だ。

 

それらから子供を守る為に一定の年齢までデジタルから隔離する事は間違ってはいないと思う。

 

悪を目にした時、「こういう物は悪だ」と親の監督下できちんと教える事によって子供自身が自衛出来る方が理想的だ。

でも、悪だと言われても興味は沸いてしまうのが子供であり人間だ。

 

では何が正解なのか。

それを令和の親はそれぞれ考えていくんだろう。

 

SNSでは色んな人の考えに触れる事が出来る。

誰も彼もが映えやゲームの投稿をしているわけではない。

 

宇宙飛行士の若田光一さんが宇宙からの映像を送って見せてくれたりする。

野口さんはYoutubeISS内での面白実験をたくさん投稿してくれている。

(別に映えやゲームが悪いわけではない。)

 

色んな世界が有って色んな考えが有る事を知って欲しい。

少なくとも、自分の理解の及ばない考えに対し、拒絶し排除する凝り固まった頭の持ち主にはなって欲しくない。

 

アナログもデジタルも良い面だけではない。

上手に付き合って子供と共に成長するのが親として見せられる背中だろう。

 

最後は格好つけて終わった。

 

 

おしまい。