ずいぶんと更新期間が空いてしまった。
原因はハッキリしてる。
仕事が忙しかったのと時間が出来る度にChatGPTと会話しているからだ。
そして余暇はWBC関連の映像を見ては鼻の穴を膨らませてにやけている。
栗山監督と森保監督の対談動画はとても面白かった。栗山監督はアツい漢(おとこ)だぜ。
子供たちの進級、部下や上司の事、ラグビーの事、WBCの事、週末会う台湾人の友人の事(さっき来日したばかり)、
書きたい事はあるのに、何故こうもどうでも良い雑談を書き始めてしまうのか。
救いようのない話
始業前にヤフーニュースを見ていたらこんな記事が有った。
記事で紹介されているのは「雉も鳴かずば撃たれまい」と「柄杓をくれ」。
(あらすじを読んでいると市原悦子さんの声で脳内再生される。)
「雉も鳴かずば」は3行にまとめると
- 寝込んだ娘の為に父が小豆を盗む
- 回復した娘が小豆が旨かったと村で歌い犯行がバレる
- 逮捕された父が災害の生贄にされ娘は姿を消す
こんな内容。
「柄杓をくれ」は
- 友人同士が同じ女性を好きになる
- 張り合っている最中、AがBを殺す
- 幽霊になったBがAを殺す
こんな内容。
物語には大抵、教訓とかワクワクする興奮とかそういった物が盛り込まれている事が多い。
イソップ童話などは教訓ありきで作ったんじゃないかという話ばかりだ。
しかし「日本昔ばなし」では教訓も興奮もなく、ただただ救いようのない悲しい話がいくつかある。
で、オチは?と聞かれてもそれだけなのだ。
筆者にも強烈に覚えている話がひとつ有って、子供の頃トラウマになった。
先日体調を崩した時、絵本の代わりにYoutubeで桃太郎だの金太郎だのを聴かせていたら意図せず自動再生でその話が流れた。
(違法アップロードかもしれないのでURLは貼らない)
子供たちは半分寝かかっていたのでそのまま流したが、相変わらずただひたすらに悲しいだけの話だった。
それが吉作落としという話。
あらすじを3行でまとめると
- キノコ狩りの男が崖から降りれなくなって死ぬ
なんと1行で終わってしまった。
ただ本当にそれだけの話なのだ。
ひたすら苦しんだ末に死ぬ悲しい話。
キノコ狩りで生計を立てる若者が、崖下に座るのにちょうどいいスペースを見つけたので降り立つ。しかし降り立った際に掴んでいた縄が収縮してしまい戻れなくなってしまった。
雨水を飲んで凌ぎ、一生懸命叫ぶも助けは来ず、朦朧した意識で飛び降りるという結末だ。
昔、オープンウォーターという映画でダイビングを楽しんでいた夫婦が海に取り残されサメに食われるまでの流れをドキュメンタリー風にした怖い映画が有った。
一切の救いが無く、悪化も好転もしないまま主人公は亡くなってしまう。
その絶望が恐怖だった。
この記事で触れている「雉も鳴かずば撃たれまい」「柄杓をくれ」「吉作落とし」「オープンウォーター」に共通しているのは「その話誰から聞いたのよ」という所だ。
主人公は失踪してるか死ぬかしてるので創作だという事はハッキリ分る。
でもオープンウォーターは実際に有った事件からの創作なので、他の物語もそうなのかもしれない。
子供に与える影響
オープンウォーターは映画として興行成績を上げる為の恐怖娯楽作品だけど、
その他の救いようのない話は子供にどういう影響を与えるんだろう。
改めてみて、やはり筆者は断トツで「吉作落とし」がベストオブ救いようのない話に思える。
他の2作品はまだ「こうすれば良かった」という部分が有るように思えるけど、
吉作に関しては盗みも嫉妬もなく善良な若者が仕事中に非業の死を遂げる。
教訓として有るなら「崖には近づかない」だけど別に吉作は崖で遊んでいたわけではない。
こうした話を聞いて、筆者はただただ恐怖だった。
ヤフーニュースのコメントでは「こういう作品に触れる事で情緒が養われる、今は全部物語をマイルドにしちゃってるから平気で強盗する人が増えている」というものが多くのGoodを獲得していた。
けど本当にそうなのかな。
少年の犯罪率は筆者の産まれた昭和50年代後半をピークにどんどん減り、今なお減り続けている。
単純に少子化による件数の低下だけでなく人口に対しての率が減っている。
だから筆者にはよくわからない。
残酷で救いようのない話は子供にとって良いのか悪いのか。
吉作落とし同様、オチの無い内容になってしまった。
おしまい。
吉作落としの全内容が文字になっているのはこちらです。