スキンシップ
妻とは分からない生き物だ。
おそらく向こうもそう思っているだろう。
お互い様というやつだ。
結婚して7年目。
6年間、お互いに出張も1人外泊もしていないので2190日以上毎日顔を合わせている。
それなのに理解出来ない所が出てくる。
不思議だ。
父と母は40年、祖父母に至っては半世紀以上一緒に居るのに未だに喧嘩している。
人間というものは何処までいっても完全には他人を理解出来ないものなんだなと思う。
いや。
でも、それだと正確じゃない。
「理解は出来ているけど受け入れられない」が近い気がする。
なんでそういう言い方するかねぇと思う事が有る。
そういう言い方をする人だ、という事は理解している。
でも理解しているからと言って腹が立たない訳ではない。
そういう言い方する人だもんねと理解しているこちら、
そういう言い方されれば腹を立てる人だもんねと理解しているあちら。
直すべきは後者だと思うけど、直らない。
性格だから。
諦めるほかない。
直るようであれば私らも親も祖父母も、世間の夫婦はみんな喧嘩していない。
どちらの言い分が正しいかという問題ではない。
性格の不一致だ。個性の違いだ。
直して欲しい側は「そんなに難しい?こんな簡単なことが?」とフラストレーションを溜める。
何故同じ事を繰り返すのだと。
何故出来ないのかと。
でも多くの場合は直らない。
筆者も「どうして(こんな事が)直らないの」と何度も言われている。
でも直らない。
臨界点に達した恋人同士は別れるが、喧嘩程度であれば夫婦はそれでも一緒に居る。
子供も居るし、健やかな時も病める時も共に生きると誓い合ったから。
<本題>
「この人はスキンシップというものの重要性を理解出来ない人だ」
交際期間も含めて7年間。
この7年間でそう結論付けた。
スキンシップの時間を無駄だ(もったいない)とすら思っている節が有る。
結婚前、自分から手を繋いだりキスをしたがらない人だった。
別にそれでも構わなかった。そういう人も世の中には居る。
結婚して子供が生まれて、我が子に対しても同じだった。
自分からスキンシップをしたがらない。
ハグやほっぺにキスなどをしないのだ。
手を繋ぐのは安全上の為。
抱っこするのは移動の為。
合理的過ぎてサイボーグなんじゃないかと思う事が有る。
それ故に子供が寄り付かない。
長男も次男も完全なパパっ子だ。
ご飯の時はパパの隣や膝の上。
風呂はパパ、寝るのもパパ。
歯磨きの仕上げ、着替えのフォロー、塗り薬、外出時の手つなぎ、
ぶつけた時、寂しい時、…etc。
えげつないと感じるのは外食で4人席に座る時に、子供たちが2人とも筆者側に来てしまい妻の隣が空席になってしまう事だ。
どちらかママの横に行きなさいと言ってもパパの隣が良いと言う。
キツく言うと泣かれる。何故?という顔をされる。
最初は自分の人気っぷりに笑っていたが「これちょっとまずくないか」と最近は危機感を抱いている。
<優先順位の違いがもたらす影響>
我が家の分担では「家事は妻、育児は夫」と決まっている。
次男の妊娠中に妻が寝たきりになってから完全にこの形にシフトした。
だがこの体制に入る前も、その後も、妻は家族とスキンシップをしたがらない。
パートナーだけでなく自らが生んだ子供にも。
子供の事が嫌いなわけでも興味が無いわけでもない。
我が子の事を愛しているのは間違いない。
スキンシップより「今日やるべき事」が優先なのだ。
「やる事」を見つけては時間の限り「やる事」をやりたいのだ。
向上心が強い人に多い。筆者のような自堕落な人間には理解しがたい。
スキンシップをする時間が有るなら掃除をしたいし写真を整理したいしドラマを見たいし資格の勉強をしたい。
効率的な時間の使い方に「スキンシップ」という項目は無い。
妻の家事は完璧だ。家は清潔で整理整頓されいつ何時ゲストが来ても問題ない状態になってる。
毎日クタクタになるまでやる。代わると言っても譲らない。
(クオリティが違い過ぎるし自分のやり方で決まった手順でやりたいのだろう。)
写真アルバムを作る時もそうだ。子供が寝た後にでもやれば良いのに、被写体というか本人達がすぐそこに居るのに嬉々としてアルバム制作に熱を上げている。
手を伸ばせばそこに居るのに。
出来たアルバムの完成度は凄い。プロ顔負けのレベルだ。
しかしそれで良いのかと思ってしまう。
これがどういう影響をもたらすか。
子供たちはママに何かしてもらう事を嫌がるようになってしまった。
正確に言うとママが子供に何かしようとすると「パパが良い」と言うようになってしまった。
<このまま大きくなると>
家事という恩恵は受けているものの、その大変さやありがたさが身に染みて分かるのは家事をやった事が有る人だけだ。
子供はもっともっと直接的、ダイレクトな物を求める。
肌と肌の触れ合いだ。
我が家では卒乳が終わると触れ合いは無くなる。
母からそれを受けられない分、父に求めるようになった。
(オムツ、ミルク、離乳食は父でも出来るから育休中の筆者にバトンタッチし、母はいそいそと家事を始める。)
筆者(夫)は何度か警告したが直らなかった。
「このままだと思春期を迎えた時とか、相談相手として認められなくなるよ」
「せめて子供たちがおやすみを言いに来た時くらいはハグをしてほっぺにキスをして大好きだよと言ってあげてくれ」
と言った。
これは納得してもらえたようで毎日している。
子供たちにも「ママの事だいすき」と言ってもらっている。
しかし、1年くらい続けているが単なる儀式と化してしまい効果は無かった。
結局妻も子供も「やらされている」だけだったようだ。
心配しているのは長男だ。
長男はもう5歳。
まだまだ甘えん坊で抱っこ抱っこと言ってくるが、
年齢から考えてもうすぐ肌の触れ合いを求めなくなるだろう。
幼少期にそう言ったスキンシップをしなかった人とはどうしても、何か将来的に(特に思春期に)良くない方向で作用するのではないかと思ってしまう。
<父と妻は似ている>
筆者の父は仕事と、それに伴う付き合い酒が第一主義の、本当によく居るタイプの団塊世代だった。
会社や仕事の為にどれだけ家庭と自分を犠牲に出来るかという、現代では「社畜」と表現されてしまっている価値観だ。
家庭を顧みず一心不乱に会社に尽くした結果、
父は家での居場所を失った。
筆者も姉も父の事を「尊敬はすれど話かけはしない人」という認識になった。
父は息子や娘の好きな遊び、嫌いな食べ物など答えられない人だった。
だから年齢にそぐわないオモチャを買ってきたり、嫌いな食べ物をお土産に買ってきたり。
当然そんなもの要らないから私らは喜べない。それを見て不愉快になる父。
家に居る事が稀で、その稀は嬉しくない稀だった。(今は仲良いですよ。)
家に居ても酒を飲みテレビを占領するのでハッキリ言って邪魔だった。
家にてもつまらないから父はまた外に飲みに行く。悪循環。
お互いにお互いの事をよく知らないから、思春期は会話にならない。
たまに「最近学校はどうなんだ」と言われても「どうなんだ」が抽象的過ぎて何と返答すれば良いかわからない。
だから「普通だよ」と答えると、父もどう受けていいか分からないから「そうか」しか言えない。
それでたまに注意をしてくるから「あんたに俺の何が分かる」とドラマのようなセリフを言った事が有る。
今はとても仲が良いが、ろくにした事もない育児のアドバイスを受けると相変わらず呆れてしまう。
「いやいや、親父は何もしてなかったじゃん」と反論すると、バツの悪そうな顔をして苦笑いをしている。
(今は姉がしょっちゅう親を頼るので孫との触れ合いで育児を体験、大変さが分かったようだ。)
<これからの話>
毎日家に居るし晩御飯だって一緒に食べている。
好き嫌いは知ってるし筆者が風邪でダウンした時などは絵本を読んであげている。
(最初パパが良いと言われてしまっているけど)
妻は父ほど酷くはない。
酷くはないが、
言葉と言葉のコミュニケーションだけでなく肌と肌で触れ合わないと、
深いコミュニケーションは出来ないんじゃないかと思ってしまう。
100の名言より1度のハグが効く事だってある。
だって人間だもの(みつを)。
いや、相田みつをさんはそんな事言ってないと思うけどそう思う。
もう慣れてしまっているのかもしれないが
毎回毎回パパが良いと泣かれてそれなりに気にはしている(ように見える)。
洗濯かごを抱えて歩いている時、掃除機をかけている時、
「抱っこ~」と言われて「あとあと!」と言って足を止めなかった。(しかもその「あと」で抱っこする事もない)
たまにわざと邪魔してくるのも、裏を返せばスキンシップしたいのだ。
何度も何度もそれを繰り返して、ママにスキンシップを求めても無駄だと学ばせてしまった。
30秒で良いから足を止められなかったのだろうか。
持ち上げなくても良い、その場でハグするだけで良かったのに。
そんなに難しい事か?と思うけど
本人にとっては難しい事なんだろう。
自身が蒔いた種だがこのままで良い訳がない。
筆者が協力できる部分も有ると思うが、まずスキンシップの重要性を理解して欲しい。
家事を完璧にこなす事はとてもありがたいが、家事のクオリティを下げてでもスキンシップの時間を増やす価値は絶対に有る。
もう何度も言っているセリフだ。
スキンシップとは思っている以上に大事なんだと分かって欲しい、と願う今日この頃だった。
おしまい。
<余談>
先週金曜から風邪を引いて4日間ほど長引いた。
義母がヘルプに来てくれたので家の事は滞りなく運んで神様みたいに見えた。
コロナもインフルエンザもワクチンを打っているけど普通の風邪だけはどうにもならないのが悲しい。
仕事も溜まったので久しぶりに忙しい一週間だったなぁ。