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貧しい者に許された娯楽は『怒り』だけ

怒る男性のイラスト(5段階) | かわいいフリー素材集 いらすとや

 

先日、講談師の神田伯山さんのラジオを聴いていて

「ニュースなどを見て怒っている人がよく居るけど、ひょっとしたらそれは(意図的に)怒らされているのかもしれない。そして扇動している側はそれで金を稼いでいる。」

 

みたいな事を言っていた。

普段笑いになる話がメインなのでハッとした事もあり、

 

それで以前Twitterでバズったタイトルの

貧しい者に許された娯楽は『怒り』だけ

というツイートを思い出した。

 

 

この「貧しい者に許された娯楽は『怒り』だけ」という文字そのものを検索しても出てこないので、もしかしたらこの人の造語か表現が違うニュアンス的なものなのかもしれない。

 

ただグっと来るものはある。

 

ニュースを見ていると「なんだかねぇ」と言いたくなるニュースは毎日出てくる。

政治家の不正、自治体や企業の不正、納得のいかない法改正/裁判の判決、虐待する親、イジメをする教師、それを隠す教育委員会、不倫や脱税する芸能人、事件を起こすYoutuber、女性を脅すTiktoker…よくまぁネタが尽きないと思うほど不快なニュースが数多く流れる。

 

 

見ている時は腹が立つ事も有る。

ただ仕事をしたり育児をしたり自分の時間を過ごしたりしているウチにその事ばかりに捉われておられず気持ちの切り替えが行われる。

 

ただそれが出来ない人達が居る。

ここで言う「貧しい者」というのは一重にお金という意味だが心や時間の余裕が無い人も含まれて良い。

 

 

 

投稿者の次の内容はこうだ。

 

筆者は特に積年の怒りが言語化されて簡単にアクセスできるという点にグっときた。

 

その通りだ。

持って生まれた才能なく、努力も出来ず、かと言って自分の能力の低さを認められない人達にとって、

現実は地獄を叩きつけてくるがそれを直視すると自分が壊れてしまう。

 

だから自分自身から目を背ける為に叩いて良い標的を探し、

罵詈雑言、誹謗中傷をし続ける。お金は一切かからない。

 

この人は悪い事をしたのだから叩いて良い、何を言っても良い、何をされても仕方ないと、どんどん誤った脳内変換が行われ、最終的に自分は良い事をしていると錯覚する。

 

過激な事を言うといいねやコメントが付くので承認欲求も満たされる。

言われた方が法的手段に訴える姿勢を見せない限り何の危機感も感じず責任も取らない。

 

とにかく自分自身に目を向けたくないから、目をそらすという努力だけは人並にする。

 

だから一部の文章力/表現力の有る扇動者の「あなたが不幸なのは国のせいだ。社会のせいだ。あなたが悪いわけではない。」という言葉に触れると、

その言葉に居場所を見つけ、また同じような人達が集まるから更に安心し、民意という大義名分を持って「反対!謝罪!賠償!」と言い続ける事が娯楽となる。

 

1人では寂しくむなしい時間もみんなでお祭りのように騒ぎ、打ち上げでもすれば充実した休みになるのだろう。

 

縋りついた扇動者の甘い言葉によって自分達は善い事をしていると思い込み、

お金と時間と労力を惜しみなく貢ぎ、扇動者の懐を温める。

 

扇動者はそんな彼らを見て更に焚きつける。

悪い宗教と似ている部分が有る。

 

葬式の横で騒ぐ人達

 

もちろん不正は許されるものではないし全てのデモを卑下している訳ではない。

筆者自身も今の政治家に日本や地域の事を本気で考えている人がどれだけ居るのか疑いたくもなる。

 

だが例えば、葬式の横であれだけ「反対!謝罪!賠償!」と騒いでいる人々を見ると「あぁこれは彼らの娯楽なのだな」と思えてしまう。

 

反対するのは自由だが少なくとも葬式やってる横で、

2万人以上が花を手向けようと行列している横で、

テロリスト本人のコスプレしたり生前の政策の悪口を言うべきではない。

テロで殺された人の葬式だ。

どんな正義が有ろうと非難される恥ずべき行為だ。

 

 

常識的な善悪の判断が吹っ飛ぶほど扇動者の教えに心酔しているのだろう。

扇動者は甘い言葉を言い続け「あなたは悪くない」と笑顔で手を握ってくれるのだろう。

世間は冷たいが扇動者や同志だけは自分に優しくしてくれるのだろう。

 

 

 

他にもある。

 

「差別!軽視!配慮!謝罪!」と連呼している人達だ。

差別は当然よくないし、騒ぐと企業や国/自治体が謝罪するのだから、これはもうたまらんものが有るのだろう。

反撃に遭わず一方的に攻撃出来るのだから。

 

 

もちろん「こんなの子供に見せられんよ」というやたらにエロいキャラクターを全面に押し出した広告を見ると文句の1つも言いたくなる。

 

でも「え、それが気になるの?」というレベルでも突っついているのはもはやクレームではなく難癖だ。

また、SNSで「失礼クリエイター」と揶揄されたマナー講師も度が過ぎるとここで言う扇動者と同じ括りになる。

 

これが良い例だ。

 

そもそも三途の川に橋は渡されていないという所で笑ってしまった。

マナー自体は国や文化によって違うから渡し箸を違反とする考えが有っても良いとは思う。

しかし三途の川に橋が無いのは変えようがない。

マナー違反の論拠を仏教にすべきではなかったのだ。

 

景気と給料と年金

 

景気が悪いのは国の責任だ。だが給料が上がらないのは経営者の責任だ。

国が景気を良く出来たとしても経営者がケチなら給料は上がらない。

国が直接どうこう出来るのは最低賃金だ。

 

だが社長や上司にそれを言うと自分の立場が危うくなるかもしれない。

だから国や政治家を責める。国や政治家なら文句を言っても反撃されない。

ここは言論の自由が有る日本だ。一方的に石を投げられる。

 

主張の一部に株価が上がっても一部の投資家が儲かるだけと言うのが有った。

株をやっていないなら当たり前だ。

と言っても株をやりたがらない強い国民性を持っているのは先進国では日本くらいだ。2016年のデータだが日本人は2人に1人が現金で預金しているのに比べて欧米でヨーロッパで3.5割、アメリカでは1.5割だ。他はみんな株や金や不動産などで資産管理している。

このまま値上げが続けば貨幣価値は下がるから現金の預金は今どんどん価値を下げている。

 

 

 

あれだけ「国は何をやってるんだ!」と言い続ける割に国に対して期待値が高すぎる。

もう高度成長期ではないのだ。

少子化で労働力が減り移民受け入れも拒否しているのだからすぐに解決できる状態ではない。数十年、場合によっては100年かかるだろう。

日本の政治家が有能でないと思うなら尚さら自分で何とかするしかない。

 

専業主婦が圧倒的大多数を占めていた時代の人達が年金を受け取っている「今」ですら年金が破綻しかけている。

女性進出が進んだ現在30代、40代の女性賃金は(性別収入格差は依然有るものの)30年前より上がっているので将来の年金受給額が上がっている。団塊世代が亡くなり人口が減ったとしてもその人達が60代、70代になった時の年金を国が払えるとは考えにくい。

 

そんな事はずいぶん前から分っていただろう!何をやっていたんだ!とする政府への不満は十分すぎるほど分かる。全くもって同意見だ。

つまり将来を本気で考えて来なかったのだ、或いはその予測が間違っていたのだ。

だから選挙へは行きつつも国には期待しない方がノーマルだ。(歴史を見ても日本の未来に不安が無い時代なんて高度成長期からバブルまでのたった数十年くらいだろう。)

 

株をやらないのは自己責任だが株をやってる人はリスクも受け入れている。

本当の意味で自己責任だ。

 

株なんかやらなくても安心して住めるようにしろ!と言う意見はもっともだが国民が資産形成出来るようになれば本当に困窮している人にだけ保障を充てられるようになり国も国民も豊かになれる。

この辺りは色々と意見が分かれるだろう。

 

どんどん話が逸れてしまった(反省)。

 

 

最後に。

 

 

出来る事なら、

困っている人を助けて表彰された人とか、世紀の発明/発見をした人とか、前人未到の記録を打ち立てた偉人であるとか、画期的な方法で良い結果を挙げた社長や役人のニュース等で溢れかえる世の中になって欲しい。

 

でもそうなった後もこの人達は何かしら怒る材料を見つけ、

SNS掲示板で「世間から叩いて良い認定」されたと誤認し、

罵詈雑言、誹謗中傷を投稿し続けるのだろう。

鏡に映った自分を見る時間を少なくするために。

 

 

補足

神田伯山さんのお名前を出していますが神田伯山さんが特定の思想や団体に触れているわけでは有りません。全て筆者の見解です。

 

 

 

余談。

金持ち喧嘩せずというが先日辞任した和菓子屋の社長は公道で無理な車線変更した挙句に事故を起こし、被害者に対して暴言を吐くという暴挙に出ている。

 

やはり貧しいというのはお金だけでなく心や時間がという表現が正しいようだ。

「ボロは着てても心は錦」でありたいものだ。

 

おしまい。