天使の羽を折りたくないについて書く。
別に宗教の話ではない。ランドセルの話でも無い。
海外では子供の才能、やる気、チャレンジ精神を邪魔したくない時にこうした表現を使う事があるようだ。
国連でスピーチするような子供の親にどんな教育したらこんな子に育つんですかとインタビューしたところ「私は天使の羽を折らないように気を付けていただけだ」と答えていたのが印象的だった。
(その子のスピーチ内容については置いといて国連でスピーチするなんて凄い事だ。)
非常に感銘を受けた。
うちの子らにとっての羽はなんなのだろうか。
まだそれは分からないがチャレンジしてみたいという気持ちを見せた時、出来る限り応援してあげたい。
筆者の親は善人だが多くの親と同じく子供の限界を勝手に決めてしまう人だった。
「まだ無理だよ」
「そんな事出来る訳ない」
「(テレビを見て)ああいう子は特別なんだよ」
繰り返し言われたので自分は凡人であると幼少期から決めつけていた。
努力しなかった原因を親に押し付けるのは良く無いが、こんな事を子供に言う事は良くないのでは?とも思う。
同じ親という立場になった時、気持ちは分かるようになった。
危ない事はして欲しくないし謙虚な人に育って欲しいとも思う。
だがやはり限界を勝手に決めつけるのは良くない。
チャレンジの気持ちを持った時、安全性との秤にかけて全面協力したい。
少なくとも邪魔はしたくない。
小さいウチは簡単だ。
怪我する危険を省けば素直に応援出来る。
だが成長と共にチャレンジする際のリスクは大きくなる。
子供はいくらでもやり直しが出来るがそれでも中・高・大と将来を決めるようなタイミングがやってくる。
1番の問題は、一般的に親が望むような安定した職業以外を望むようになった時だ。
ここで羽を折るか飛び立たせてみるかが大きな分岐点だ。
例えば子供がお笑い芸人、アーティスト、役者、漫画家、小説家、プロスポーツ選手をやりたいと言った時、素直に応援出来るだろうか。
自分の親と同じように「無理だ」と言わない自信は無い。
自信は無いが応援はしてあげたいと思う。
即座に反対する親も多いと思う。
昔と今では価値観が違うが筆者のような一般的なサラリーマンである親は自身の成功経験に無い判断だから葛藤も凄いだろう。
なにせ売れているお笑い芸人でさえ子供に芸人をやって欲しくないと言うくらいだ。自分達が売れたのは運と才能、両方に恵まれたからという自覚が有るのだろう。
七光りも通用しない世界は自分達と同じ苦労をさせたくないという親心が顕著に出る。
ちょっと話が逸れるが勉強も才能が必要だ。
本気で出来ない子に無理に高校卒業まで勉強を強いるくらいなら、江戸時代のように商店に奉公人として修業させたり様々な職種を経験出来るカリキュラムを組んであげた方がよっぽど社会の役に立つ子に育つ。
日本には農業を始め後継者に恵まれず危機にある職業がたくさん有るので、それらを経験させてみれば天職と巡り合えるかもしれない。
食っていけるかは分からないがそれはどんな職業でも同じだ、大企業にだってリストラの危機は有る。
それより学生時代に劣等感を感じさせない事の方が大事だ。
劣等感を強く持った子は犯罪に走ったり他人の成功を喜べない人になる可能性が高くなる。
筆者の子供は4歳と2歳。
飛び立つのはまだまだ先だろうが、天使の羽を折らないようにしつつ子供が不幸にならないよう導いてあげるのが自分に出来る親の務めだと思う。
おしまい。