夫婦の家事育児のバランスを考えるについて書く。
まず結婚5年目の筆者(夫)が結婚生活で最も大事だと思う事を書く。
それは定例会だ。
少なくとも3か月に1度は家事育児の負担を考慮した話合いをして
担当替え、やり方の見直しなど調整を図った方が良い。
いきなりソファーでくつろいでいる人に担当の変更を迫っても戸惑う。
なので事前にこの日のこの時間に夫婦定例会をするとアポイントしておく必要が有る。
言いにくい夫婦も居るだろう。
でもいきなり会議するわけじゃない、その時は日程を決めるだけだ。
爆発した妻が夫に「私ばっかりやってんじゃないのよ!」と怒鳴るシーンをよくテレビでみかける。
もちろん夫が悪いとは思うが前触れなくいきなり迫っても相手の感情を逆撫でする。
(夫とは妻の前触れを拾えない生き物だ、筆者も全く拾えない。)
バランスを変更したいと思っている側が日程を提案し、話し合いをする。
だが言い出すのは難しいので節目(月末月初など)で決めてしまえば良い。
話し合いすら拒否するパートナーとはちょっと色々考えた方がいいかもしれない。
お互い不満が無いなら他のテーマを話す時間に使ったっていい。
探せばテーマは必ず有るし話し合う習慣がつくとお互い通じ合っている感が上がる。
その際も大事な点が有る。
1つ目はバランスの操作。
口の上手い人はパートナーを言いくるめて自分の負担を減らそうとするかもしれない。
絶対にやってはいけないことだ。
言いくるめるというのは相手から納得を勝ち取っているわけではない。
それ以上反論する事を諦めているだけだ。
負担が軽くなる代わりに信用を失い、支え合って生きているという感覚をパートナーが無くす。すると悲惨な結末を迎える可能性が高くなる。
2つ目はパートナーへの感謝、畏敬。支え合っている感。
自分がやっていない家事は相手がやってくれている。
当然と思うかもしれないがやってくれているから生活出来ている。
話し合いの結果バランスが変更されない事も有る。
だが感謝もされずに頑張り続ける事は厳しい、相手のリクエストを飲むことが出来ないならせめて感謝を示す事が必要だ。
3つ目、向き不向きを踏まえて工程を割り振る。
この家事は夫がやるべきだ妻がやるべきだという事は環境が人それぞれ違うので出来ない。
同様に向き不向きが有る。
何度言われても洗濯ものをヨレヨレのまま干す夫がよくクローズアップされている。
徐々に向上するなら希望が有るが何度言われても直らないならそれは向いてない。
パフォーマンスの悪い担当は諦めて違う事をする。
洗濯ならば工程は洗う、干す、畳む、しまうだ。干すだけは妻がやり他は夫がやるなどで調整すると良い。
かくいう筆者も平和ではなかった。
だが家事育児のバランスで喧嘩したのはもう何年も前だ。
(喧嘩の仲直りの仕方を決めているのでそれは別の機会に書く)
3年前、我が家では大事件が起きた。
次男の妊娠中、妻が切迫流産(早産)により約半年寝たきりとなった。
原因は(断定されてないがおそらく)妻の過労。
医者に子宮口が開いてるから家から出るな家事もするなと厳命された。
その時に出世は諦めて家庭を最優先で行い家事育児に没頭した。
実母義母、会社の人達の助けを得て無事に出産までこぎつけた。
長男だけの時はロクに育児をしなかった筆者も半年間の過酷な日々を経て1人前の戦士となった。
妻も筆者を認めてくれ、その後は更に良くすべく定例会をしている。
定例会をして相手の負担を考えた方が過労を防げる、ひいては自分の為にもなると思ったからだ。
余談1
昨年初めてダスキンを呼んでお風呂とトイレ掃除をしてもらった。
我が家は木造なので水回りは素人よりプロに任せた方が良い。
値段はするが素晴らしい仕事をしてくれた。
毎日の家事ではなくこうした定期的に徹底的にやらなければいけない事はプロにお任せする、これも選択肢の1つとしてアリだと思った。
余談2
筆者は35で結婚した晩婚だった。
1人暮らしの期間が長かったので一通りの家事は出来るようになっていた。
それでも家事のクオリティで注意を受けた。
ご飯で言えば「食べられればいいじゃねーか」という側と
「美味しくないと嫌だ」という側の争いだ。
ご飯で言えば通じ合えるのにこれが洗濯や掃除だと通じ合えない。
目指している最低限のレベルが違うからだ。出来ていると思って、なんなら褒められるくらいに思ってやった事を注意されるとふてくされたくもなる。
筆者が思うに最低限の認識が違う家事はそのレベルを高く持っている方が担当する方が平和だ。もちろん相手のレベルを理解する努力も双方に必要だが個人的には高い方がやり、低い方は別の家事育児を担当した方が良いように思う。
それじゃ全部どちらか一方になっちゃうYO!という夫婦はまず「レベルを合わせる」という話し合いをした方が良いと思う。
おしまい。